1923年の関東大震災の直後に、横浜市の中心部の被災状況を撮影した写真原板28枚が見つかった。焼け野原になった横浜中華街や、国内外の軍艦が救援に駆けつけた横浜港など、当時の様子が鮮明に記録されており、分析した横浜開港資料館(中区)は「横浜の震災被害を知るうえで貴重な発見だ」としている。
見つかったのは、当時の街の写真館で多く使われた「ガラス乾板」と呼ばれる写真原板。横浜出身の写真師、西野芳之助氏(1881~1952)が撮影したとみられる。
鎌倉市内の旧西野写真館で2018年秋、西野氏の孫が箱に保管されていたのを見つけ、連絡を受けた横浜開港資料館の吉田律人調査研究員が確認した。吉田さんは「ガラス乾板は壊れやすく、100年近く経って一度に28枚が見つかったのは奇跡だ」と驚く。
横浜港に停泊中の旧日本海軍の戦艦「伊勢」や、損壊した橋の修復が進んでいない中村川の様子から、撮影は1923年9月10日前後とわかった。関東大震災発生の10日ほど後だ。
焼け野原になった横浜市街地の…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル