9日に93歳で亡くなった関根潤三さんは、1990年代のヤクルト黄金期の礎を築いた。
現役時代に積み上げた勝ち星は65、安打は1137。投手としても野手としても成績を残した珍しい存在だった。投手と野手の両方で球宴に選出されたのは、関根さんと日本ハム時代の大谷(大リーグ、エンゼルス)しかいない。
「投手と野手を両方やった経験はその後、役に立ったねえ。両方の心理がわかるから」。後に野球殿堂入りを果たした際、関根さんはこんな風に語っていた。
87年からはヤクルトの監督を務めた。3年連続でBクラスに終わったが、池山隆寛(ヤクルト2軍監督)や広沢克実ら個性豊かな才能が、自主性を尊重する、おおらかな指導で開花していった。後任の野村克也監督(2月に死去)のもとで迎える黄金期に、彼らが中心選手となった。
空振りを恐れない豪快なスイングから「ブンブン丸」の愛称で親しまれた池山2軍監督は、「『三振しても下を向いて帰ってくるな』と指導された。ブンブン丸の基礎になったのかもしれません」と悼んだ。
解説者としても個性的だった。プロ野球OBの中でも特にソフトな語り口で、80代になっても視聴者に野球の魅力を届けていた。
関根潤三さんの現役、指導者時…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル