関電に「M」と呼ばれ…高浜町元助役、退職後も強力なパイプ(産経新聞)

 関西電力役員らが金品を受領していた問題で、金品を渡していた福井県高浜町の元助役、森山栄治氏(今年3月に90歳で死去)は、退職後も役場内で絶大な影響力を持ち続けていたという。地元関係者は「高浜原発3、4号機の建設を実現させた立役者。このとき関電側とやり取りを重ねていた」と指摘。町政の課題だった原発誘致を成功させたことで地位を確立し、関電側とのパイプもできあがったとみられている。

【表】関電幹部らへの資金提供問題をめぐる経緯

 ■3、4号機「森山さんがいたから」

 北陸地方の西端に位置する高浜町。主だった産業がなく、昭和30年代後半から仕事を求めて人口流出が起きて過疎化に陥った。その危機を脱することができたのが原発誘致だった。

 地元出身の森山氏は京都府内の自治体職員を経て、昭和44年に町役場入り。50年から収入役、52年から助役となり、中でも助役は10年間も務めた。

 一方、高浜原発は1号機が45年に着工し、49年に運転を開始。2号機は50年に運転を始めていたが、1、2号機に続く新たな原発の建設誘致が町政の課題となっていた。地元の議会関係者や建設業者らによると、こうした状況で森山氏が関電や地元との交渉や調整において中心を担い、3、4号機の60年に運転開始にこぎ着けたといい、地元では「森山さんがいたから3、4号機ができた」とする向きが多い。

 ■「産業がなかった町の功労者」

 町役場にとって森山氏は、原発4基の稼働で「原発」を町の主要産業として根付かさせた立役者といえ、60代の町関係者は「産業がなかった当時の状況を考えれば、町最大の功労者だ。日本のエネルギー政策に貢献した人と言ってもいい」と評する。

 一方、関電との関係では、原発誘致のやり取りで強力なパイプができたとみられ、退職後も影響力を持つことができたという。関電内で「M」と隠語で呼ばれていたという森山氏だが、一部の役場関係者も同様に呼んでいたという。

 ある建設会社役員は「森山さんは地元に愛着を持って、地元産業をフォローしてきた人」とするが、「金品授受があったなら、別問題」と話している。

Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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