「天皇」「偉大」「怖かった」。関西電力役員らに多額の金品を渡していたとされる福井県高浜町の元助役、森山栄治氏(今年3月に死去)の関係者や周辺の証言からは、さまざまな“顔”が浮かび上がる。
■郷土誌が賛辞
《住民生活の安定と地域福祉の向上発展に尽くした役割は極めて大きい》
平成14年に発行された福井県高浜町の郷土誌は森山氏の功績をこうたたえる。
同誌や関係者によると、京都府出身の森山氏は、府職員や同府綾部市職員などを経て、昭和44年に高浜町に入庁。民生課長や企画課長として存在感を示し、地元では「天皇」と呼ばれるほどの有力者だった。
過疎化が進み、企業誘致にも苦戦していた高浜町が目をつけたのは原発だった。森山氏は52~62年の町助役時代、原発反対派の説得を進め、誘致に尽力。そうした経緯から、同誌はこのような言葉を贈っている。
《原発の誘致に献身的に取り組み、住民と対話を尽くし実現にこぎつけるなど、活動実績は誠に顕著なものがあった》
行政マンとしての腕は確かだったようだ。
「決断力や統率力があった」と証言するのはある町関係者。議会で部長や課長が答弁に詰まる場面があると「さっと出てきて、説得力ある物言いで(議員を)説き伏せていた」。部下を叱責後、フォローをすることも忘れなかったという。
森山氏を知る議会関係者は「高浜で原発誘致が進んだのは、ああいう中心的な人物がいたからだと思う。大した人物だ」と賛辞を惜しまない。60代の町関係者の男性も「偉大過ぎて一言では言えない。この人がいなかったら、高浜町はここまで大きくなっていなかった」。
■「関電とウィンウィン」
退職後も地元では関電に顔が利く実力者として知られた存在だった一方、関電の関係者に対して高圧的に物品を渡す場面も目立った。社内では「M」との隠語で呼ばれ、警戒する向きもあったとされる。
「断りを入れても、バッグの中に物品を無理やり突っ込んでくる。正直、怖かった」(関電関係者)。「歯向かうものに威圧的な態度を見せることもあった」(町議)。周囲が森山氏に恐れをなしていたとの趣旨の証言は少なくない。
「(森山氏は)地元の有力者。(金品を)返すとか、受け取れないといった場合、非常に厳しい態度で返却を拒んだ」。9月27日の会見で、関電の岩根茂樹社長もこう釈明していた。関係者によると、金品の授受に関し国税局から税務調査を受けた際、森山氏は「関電にはお世話になっているから」と説明したとされる。
ただ、元町議の男性は「(森山氏が)原発の誘致に動いたことで関電と関係を強めた。関電とはウィンウィンの関係だった」と指摘し、関電側の釈明に冷めた見方を示す。
「お世話」の指す意味は何か。金品を贈った真意は何か。詳細は明らかにならぬまま、森山氏は今年3月、90歳で死去した。
Source : 国内 – Yahoo!ニュース