「家族みんなで、一日一日頑張っていきます。遠くから見守っていてください」。神戸市中央区の東遊園地で17日早朝に行われた阪神大震災の市が主催する追悼行事で、遺族代表の同市東灘区のすし店店主、上野好宏さん(47)は、震災で亡くなった母の美智子さん=当時(47)=に向け、ゆっくりと追悼の言葉を読み上げた。
あの日、東灘区内の上野さんの自宅は激震で倒壊し、下敷きになった美智子さんが亡くなった。東京の大学に通っていた上野さんは翌日、新幹線に飛び乗り実家へ向かったが、安置所で再会したのは変わり果てた母の姿だった。頭が真っ白になり、茫然(ぼうぜん)と立ち尽くした。
「お父さんに何かあったらすし店を手伝ってあげて」。震災後、生前の母の言葉が脳裏から離れなかった。大学卒業後、勤めていた会社を辞め、父の数好(かずよし)さんらが営んでいたすし店「灘寿司」を継ぐことを決意。数好さんから魚のさばき方や、すしの握り方などの指導を受け、数好さんが亡くなった現在は一人で店を切り盛りしている。
午前5時46分、あの日から四半世紀が過ぎた。静かに目を閉じ、「今からお母さんにメッセージを伝えるよ。そばで見守っていてね」と心の中で伝えた。
「よっちゃん。頑張り」。そう言っていつも背中を押してくれた母。25年を経て同じ47歳となった今でも、目を閉じれば母の声が聞こえてくる。
上野さんの言葉はこう締めくくられた。「お母さん、いつも支えてくれてありがとう」
【関連記事】
Source : 国内 – Yahoo!ニュース