半世紀以上、住民を翻弄(ほんろう)した国のダム事業が、工事開始に向けて進んでいる。下流の安全のため、苦渋の決断をした住民たちはいま、寂しさや不安を抱えながら、離れがたき山里での日々を送っている。(岡田将平)
「新しい家に」かなえられなかった妻の願い
佐賀県神埼市の北部。福岡県境の脊振山から流れてきた城原(じょうばる)川が、別の川と合流する開けた場所に、岩屋、政所(まんどころ)という二つの集落がある。100人ほどが暮らし、周囲に田畑が広がる。
国は2030年度の完成をめざし、集落の下流の谷に、堤の高さが60メートルの城原川ダムを建設する予定だ。事業費は約485億円。通常時は水をためない穴あき(流水型)ダムだが、上流の50世帯約120人の土地が建設用地となり、地元住民の団体・城原川ダム建設対策協議会は1月、国と移転に向けた補償基準協定に調印した。
2月23日、今後の補償に向けた進め方の説明のため、住民たちは同市脊振町の市脊振交流センターに集まった。調印で「一区切り」は迎えたものの、7月以降、個別に補償の協議が進む予定で、協議会会長の真島修さん(86)は「今からがまだ大変」と話した。住民代表として国と向き合ってきた真島さんは歴史を思い起こした。
「政治に翻弄されてきた」
国がダム建設のための予備調査に着手したのは1971年。地域は賛成と反対に割れ、家が隣同士でも話ができない、という状態になった。
しかし97年、旧建設省(現国土交通省)が全国のダム事業を見直し、城原川ダムは一時「凍結」の対象になった。05年には当時の古川康知事が「穴あき」での建設を提案し、09年には民主党政権によって城原川ダムなどが再び見直しの対象に。そして16年にはまた一転して事業継続の方針が決まった。
もともとは三つに分かれてい…
※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
Leave a Comment