離れていった容疑者「居どころ捜したが…」 大阪ビル放火、兄語る

甲斐江里子

 大阪市北区の雑居ビルで起きた放火殺人事件で、谷本盛雄容疑者(61)の兄(68)が朝日新聞の取材に応じた。「父親が亡くなってから30年以上、弟とは会っていなかった」といい、今回の事件まで「どこに住んでいたのかも知らされていなかった」と話した。

 幼少期の谷本容疑者は「お母さん子やった。みんなにかわいがられた普通の子。おとなしかった」という。板金工の父親が独立すると、中学生だった容疑者も仕事を手伝った。父親は自由に遊ばせず、家を訪れた友人を追い返すこともあった。「遊びたい盛り。心の中では反発があったのかもしれん」

 中学を卒業し、数年して母親が亡くなった。ちょっとずつ家族の歯車が狂っていったという。

 兄も板金工だった。同じ現場に出たとき、谷本容疑者が1人だけそっぽを向いて働いているように見えた。「そんなんやったら帰れ」と注意すると、出て行ってしまった。話を聞いた父親が「ちゃんと仕事せえ」と叱ると、そのまま実家を出た。谷本容疑者が20歳のころだった。

 疎遠にはなったが、結婚した谷本容疑者が家庭でトラブルを起こし、その妻から「助けて」と電話を受けて何度か駆けつけた。

 父が死去したとき、家族を連れて法要にきたが、相続の話でもめ、怒って席を立った。これが容疑者と会った最後だったという。

 きょうだいで協力し、居どころを捜したこともある。「『仲良うしような』とずっと言ってきたし、できる努力はしてきたけど、離れていってしまった」

 事件のことが理解できない。「どうしても腹が立ち、どうしようもないんやったら、俺の方に突っかかってきてくれたらよかったのに」(甲斐江里子)

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

Japonologie:
Leave a Comment