いつか、体が動かなくなるかもしれない難病でも。5歳から車椅子暮らしだけど。幼いころ夢見た服飾デザイナーとして一歩を踏み出すと、「世界」が違って見えてきた。脊髄性筋萎縮症(SMA)の樋口夏美さん(18)=福岡県八女市=は言う。「まだまだ自分中心にしか考えられないけど…。誰かの憧れや共感の対象になれたら、すごくうれしい」。すまし顔を、少しだけほころばせて。
「人や生き物はいずれ死ぬということも、よく考えてた」
保育所や施設でも過ごした幼少期。夏美さんは何か支えがなければ、1人で歩けなかった。母リカさん(40)は「育て方が悪い、栄養が足りていないと周りに言われ、私のせいなのかと悩みました」。
車椅子で小学校の特別支援学級に通った夏美さんに、SMA(〓(ローマ数字の2)型)と診断が付いたのは10歳のとき。大学病院の検査入院は過酷だった。筋肉に針を通して反応をみるため、鎮痛剤もおいそれと使えない。痛みで過呼吸になり、高熱も出て1週間かかった。
「治療法は現段階ではない。舌の力が落ちると嚥下(えんげ)障害になり、全身も衰えていく」…。まずリカさんが医師から説明を受け、夏美さんに伝えた。
話すうちに涙が止まらなくなった母の前で、夏美さんはけろっとしていた。「その頃はもう手の震えも出ていたので、ふーん、そうなんだ、なるようになるか、みたいな」(夏美さん)
周りに大人ばかりがいた環境からか、夏美さんは大人びた子どもだった。「人や生き物はいずれ死ぬということも、よく考えてた」
既にその頃、学校に行かなくなり始めていた。大人の前でだけ、車椅子を押す女友だち。漢字100文字を1ページ書く宿題に5時間かかった。ハンディーがあるのに周りに合わせようとして、気持ちが切れた。「人と群れるのはあまり好きじゃない」。中学校も不登校が多く、家の中で母と2人の暮らしが全てだった。
転機は2年前
転機は2年前。車椅子ユーザーだけが集まるイベントが福岡市・天神であることを会員制交流サイト(SNS)で知った。母に背中を押され「何となく」参加。すると、車椅子に乗ったモデルによるファッションショーが始まった。
「すごく驚いて…。そこで思い出したんです。小学生のころ、服飾デザイナーになりたかった夢を」。車椅子でもきれいに着られるような服を作りたい-。そんなファッションに身を包んだ人がスポットライトを浴びて、目の前にいる。
ショーを企画した鈴木綾さん(43)は、障害者の服をオーダーメードで製作していた。「モデルもやってみたい」「デザイナーになりたかった」。夏美さんの思いを、鈴木さんは二つ返事で受けてくれた。
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Source : 国内 – Yahoo!ニュース
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