震災の記憶がなくても父の思いを伝えたい 27歳「語り部ライバー」

 兵庫県淡路島で生まれ育った米山(こめやま)未来(みく)さん(27)=川崎市=にとって、阪神・淡路大震災は人生の一部だ。父親は語り部として、地元でよく知られている。地震があった時は生後2カ月で、もちろん記憶はない。それでも語り始めた。スマートフォンに向かって。

 「1995年1月17日。私の住んでいた旧北淡町では、大きな火災は1件だけ発生しました」

 火災に巻き込まれて亡くなった女性について、救助にあたった消防団員が悔恨の思いを込めてふり返った体験談を読み始めた。

 スマホで自撮りしながら生中継する。使うのは「17LIVE(ワンセブンライブ)」などのライブ配信サービス。歌やダンスを配信する「ライバー」が多いなか、「語り部ライバー」になった。

 父の米山正幸さん(55)は、震災で地表に現れた活断層を保存している施設などがある北淡震災記念公園の総支配人で、震災を島内外で語り続けてきた。

 小学校の時、学校に父が来た。同級生は「お前の父ちゃんや」とはしゃいでいたが、父が北淡町(現・淡路市)の火災の話を語り出すと、口をつぐんで話に聴き入った。そんな父にずっと憧れていた。

 大学で東京に移り住んだ。くしくも1月17日、友人に出身地を聞かれた。淡路島と答えると、返ってきたのは特産のタマネギの話。空気を読んで、震災の話はできなかった。

 父があんなに思いを込めて語…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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