震災25年、共に歩んだ神戸初タイトルで新たな1歩(日刊スポーツ)

6434人が犠牲になった阪神淡路・大震災は17日で25年。サッカー・Jリーグのヴィッセル神戸は元日の天皇杯で初のタイトルを獲得した。阪神大震災があった95年1月にチームとして始動した神戸は復興へと歩む人々の希望でもあった。震災25年の節目に、ようやくたどりついた初優勝に勇気づけられ、新たな1歩を踏み出したスタッフ、サポーターもいる。

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新装の国立競技場で行われた天皇杯、鹿島との元日決戦。神戸の運営会社でチケット販売を統括する芝英幸さん(44)は試合前、スタジアムの外で業務に当たっていた。そのとき、サポーターが大合唱する応援歌「神戸讃歌(さんか)」が聞こえてきた。

「♪共に傷つき 共に立ち上がり…」

街の復興を願い、サポーターが作詞した応援歌には万感の思いがこもっていた。「選手、サポーター、スタッフが1つになっていた。神戸市民、震災で亡くなった方の思いをすべて受け止め、みんなが国立にいた」。悲願のチーム初タイトルは芝さんを勇気づけた。 震災当時、神戸大2年生だった芝さんは、香川県の実家を離れ、神戸市灘区で米穀店を営む宇根一夫さん(当時72歳)、妻重子さん(同65歳)の自宅兼店舗の2階に下宿していた。激震で宇根さん方は全壊。夫妻は亡くなった。「爆弾が飛んできたと思った。怖くて頭から布団をかぶって震えていた」。逃げ出そうと、2階の部屋の窓を開けると、目の前に地面があった。外に出ると、宇根さん夫妻の姿はなかった。

隣の部屋の住人が救出を試みていたが、恐怖で体が動かなかった。約2時間後に諦め、2人でその場を離れた。「自分が逃げることで精いっぱいだった。がれきをかき分ける勇気もなかった」。大学卒業後も神戸に残ったが「救い出すことができたのでは…」。自責の念に駆られた。

01年、神戸の運営会社に就職。営業や経理を担当してきた。「神戸のために仕事がしたい。スポーツは被災者の元気の源になれるはず」。そう信じ、裏方としてチームを支えてきた。

震災後、1月17日を迎えるたびに「つらい記憶に背を向けようとしていた」。今年は違う。神戸の復興をアシストしたことを夫妻に報告できる。「過去を取り戻すことはできないが、少し吹っ切れたかもしれません」。天皇杯優勝で目標だったアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)出場権を初めて獲得した。「忙しくなりそうです」と芝さん。チームとともに新たな1歩を踏み出した。【松浦隆司】

<神戸讃歌の歌詞>

♪俺達のこの街に お前が生まれたあの日

どんなことがあっても 忘れはしない 

共に傷つき 共に立ち上がり

これからもずっと 歩んでいこう

美しき港町 俺達は守りたい

命ある限り 神戸を愛したい

※エディット・ピアフの名曲「愛の讃歌」に歌詞をのせ、応援歌を合唱する

◆阪神・淡路大震災 1995年(平7)1月17日午前5時46分、兵庫県淡路島北部を震源にマグニチュード(M)7・3の地震が発生。神戸市などで観測史上初の震度7を記録。死者6434人、重傷者約1万人、被害家屋は約64万棟に上った。国内の大都市を襲った地震としては戦後最悪。

◆ヴィッセル神戸 川崎製鉄水島を母体に94年設立。95年元旦に「ヴィッセル神戸」として始動したが、初練習を予定していた1月17日、震災が起きた。チームは練習拠点を転々とさせながら同年から日本フットボールリーグ(JFL)に出場。97年にJリーグ昇格。神戸市から資金支援を受けたが経営破綻し、04年に株式会社クリムゾンフットボールクラブに営業権譲渡。17年4月に法人名を楽天ヴィッセル神戸株式会社と変更。ヴィッセルは「VICTORY(勝利)」と「VESSEL(船)」の造語で「勝利の船」の意味。本拠地はノエビアスタジアム神戸。

Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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