仙台市中心部にある18階建ての宮城県庁。土木分野の技術職員の職場は、その8、9階に集まる。
東日本大震災発生からまだ2週間ほどしかたっていない、2011年3月末。空き部屋だった9階の一室で、ある「特命チーム」が立ち上がった。
津波で壊滅的被害を受けた沿岸部の市町のため、復興まちづくりを支援すること――。
緊急時ゆえ辞令はなし。都市計画課や建築宅地課の技術職員が、順次招集された。
東日本大震災から12 年。巨額予算をつぎこんだハード事業はほぼ終わった。この「復興」はどうやって始まったのか。初動期に重要な役割を果たした宮城県庁の「復興まちづくり支援チーム」の8カ月を、証言からたどった。(文中敬称略)
特命チームのまとめ役は遠藤信哉(67)だ。震災時は道路課長で、翌4月から土木部次長に就く内示が出ていた。
一晩で仕上げた復興プラン 「暴走だったかもしれないが……」
異動初日の4月1日夜。
宿直当番だった遠藤は、8階…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル