食堂再開の矢先に亡くなった父 姉妹の復興五輪、記憶を教え子へ

 この夏の東京五輪パラリンピックに審判やボランティアとして関わった姉妹がいる。いずれも宮城県岩沼市で暮らし、小学校で教えている。東日本大震災で暮らしが変わり、迎えた「復興五輪」。その経験を子どもたちに伝えようとしている。(三井新)

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 姉の磯田美恵(みさと)さん(40)は、仙台市立柳生小学校教諭。大会では審判を担う技術役員を務めた。陸上競技を控えた選手たちが集まる「招集所」で、選手を誘導したり、履くスパイクを確認したり。「『やっとここまで来られた』と話してくれた選手もいた。この貴重な経験を子どもたちに伝えたい」と話す。

 亘理町出身。大震災直後、勤務していた町立荒浜小学校に避難すると、卒業式のために並べられた体育館のパイプ椅子が、濁流にのみ込まれる光景を目の当たりにした。

 実家は、町内で食堂「加藤屋」を営んでいたが浸水し、休業を余儀なくされた。「店があったら、人が集まる」。町に元気を、と5代目となる父・俊一さんは店の修復に力を注ぎ、2011年12月には再開にこぎつけた。

 しかし、わずか数週間後。俊…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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