福島県飯舘村にある特定復興再生拠点(復興拠点)の避難指示が1日に解除され、約5年前に計画された帰還困難区域の一部解除が県内6町村で完了した。戻った住民はわずかで、解除が進むにつれ厳しい現実が浮かぶ。
避難指示が約12年ぶりに解除された飯舘村長泥(ながどろ)地区。避難した住民の7割ほどが、車で40~50分の福島市に住む。「一時立ち入り」の許可をとっては頻繁に自宅を訪れ、庭の手入れなどを続ける住民が多い。
それでも宅地の周辺や田畑は雑草や樹木で覆われた。復興拠点に認定され、道路や電気、水道などの整備は進んだが、62世帯のうち約50軒が自宅を解体した。
地元の「復興組合」の組合長をしている鴫原清三(しぎはらきよみ)さん(68)は福島市に家族3人で暮らす。長泥の家は解体せず、リフォームにした。
避難指示解除の前日、新しい畳を入れた。「これで寝泊まりはできる。でも、家族もいるので福島市にいる時間のほうが長いだろう」
復興拠点がある福島県の6町村では、登録人口約1万3千人のうち戻ったのは1・2%。ただ、長泥地区の住民のように、避難先から「通い復興」をする人たちは、他の町村にもいる。
浪江町の農家、紺野宏さん(63)は、3月末に解除された同町津島地区と、避難先の同県郡山市を週末に行き来する。帰還できなくなった近所の農地を含め約50ヘクタールの草刈りなどをするためだ。「誰かが戻らないと故郷が消えてしまう」
復興拠点の整備 3200億円の大半が除染に
復興拠点から外れた帰還困難…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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