首相の連続在職日数が24日で歴代単独首位となる安倍晋三首相は、なぜこれほどの長期政権を築けたのか。在職約7年半で何を成し遂げ、今後はいかなる問題に取り組むのか。「政局」「外交」「安全保障」「経済」の成果を振り返り、課題を探った。 首相の歩みを振り返ると、巧妙な人事、参院重視の姿勢、そして「勝負勘・強運」に支えられていたことが分かる。 「人事は派閥のバランスをよく考えている。情に流されず、『泣いて馬謖(ばしょく)を斬る』ことも平然とできるようになった。失敗は成功の母だな」 首相に近い自民党ベテランはこう述べ、「お友達内閣」などと批判され1年で終わった第1次政権との違いを強調した。例えば、前総裁の谷垣禎一氏や、二階俊博氏の幹事長の起用だ。重鎮2人は党内の「安倍おろし」封じ込めに大いに役立った。リベラルの谷垣氏、親中派の二階氏とは必ずしも主義・主張が一致しないが、自身に近い萩生田光一、稲田朋美両氏らを幹事長代行に就任させ、バランスをとった。 要所に二階氏や菅義偉官房長官ら“こわもて”を置いたことで、第1次政権とは異なり「『逆らえばどうなるか分からない』という非情さをうまくにおわせている」(周辺)との指摘もある。人事の巧妙さは大叔父の佐藤栄作元首相に通じる。自身の後継を争っていた田中角栄、福田赳夫両氏を要職に就ける一方、2人を競わせることで「佐藤おろし」の芽を摘んだ。 佐藤氏は「参院を制する者は政界を制する」との考えだったが、第1次政権で衆参の多数政党が異なる“ねじれ国会”に直面した首相は、長期政権下に行われた3回の参院選で勝利した。それを可能にしたのが参院自民党との一体感の構築だった。 特に、昨年10月に死去した吉田博美元参院幹事長の存在は大きかった。吉田氏は平成30年の党総裁選で、首相の対抗馬の石破茂元幹事長を支援したが、「『結果が出れば皆で勝者を支える』を明言・実行する人だった」(参院自民関係者)。吉田氏が参院国対委員長と幹事長だった時期は、安倍長期政権の歩みと重なる。 長期政権で軽視できないのが首相の「勝負勘」だ。党の幹部職員は「5回の国政選挙で一度も負けていない首相はまれだ。衆院を解散するタイミングが絶妙で、争点の作り方もうまい」と絶賛する。 強運にも恵まれている。29年の衆院選は、解散表明時に小池百合子東京都知事が希望の党を立ち上げ、台風の目となった。しかし、小池氏の「排除の論理」が不評を買って野党は分裂し、勝利が転がりこんだ。 最大の強運は、第1次政権時の旧民主党とは異なり政権交代の脅威となり得る野党が不在なことだろう。首相のブレーンの一人、麗澤大の八木秀次教授は「行政監視の名を借りた政権の揚げ足取りに終始している野党のおかげで首相は選挙で勝ち続けてきた」と指摘。「結果を出しているリーダーに対して党内から批判は出にくく、それがライバルの登場を難しくさせている」と分析している。(内藤慎二)
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