首相らが襲撃された現場 印を残す?残さない? 対応別れた理由とは

 安倍晋三元首相の銃撃現場に形のあるものを残すかどうか。発生3カ月を前に、その是非をめぐる議論に結論が出た。奈良市の仲川げん市長が4日、現場には何も残さないことを決めた。事件を想起させるものは、傍らの歩道に設ける花壇だけ。一方で戦前、2人の首相が襲撃され死亡した東京駅には事実を伝える小さな印が残されている。東京と奈良の経緯の違いを探ってみた。

 東京駅では1921年、原敬首相が丸の内南口で刺殺された。30年には浜口雄幸(おさち)首相がホームで狙撃された(翌31年に死亡)。

 JR東日本によると、それぞれの床には直径6センチの丸い真鍮(しんちゅう)の印が埋め込まれ、近くには当時の状況を説明する案内板(縦45センチ×横70センチ)が設置されている。設置時期や経緯は「国鉄時代のことで公式記録が残っていない」という。

 記者が東京駅に関する複数の書籍を調べてみたところ、「東京駅の世界」(かのう書房編、87年)に設置をめぐる考察が載っていた。

 作家の高田晋氏が33年に発…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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