首里城再建で模索 法律基準超えた防火対策も(産経新聞)

 昨年10月に焼失した那覇市の首里城再建に向け、国の有識者会議が報告書をまとめた。関係者が最も意を砕いたのは、再建後の防火対策だ。どうすればあのような火災を防げるのか。火災から5カ月がたった今も模索は続いている。

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 ■スプリンクラー設置

 国の技術検討委員会は3月17日、正殿復元に必要な設備や資材に関する報告書を内閣府に提出した。平成4年の復元を踏襲することを前提としたが、前回復元と大きく変わった点もある。

 「二度と火災によって失われない首里城という、防火対策をしっかりやることが大きなテーマだった」

 検討委の委員長を務めた高良倉吉琉球大名誉教授はこう振り返る。報告書では配管の塗装を工夫したうえでスプリンクラーを設置することが盛り込まれた。前回復元では美観を損なうとして設置が見送られたが、関係者は「スプリンクラーに反対する委員は一人もいなかった」と明かす。

 首里城は城郭に囲まれているため消防車が入れず、ホース延長で対応するまで時間がかかった。このため、報告書では高層ビルに利用されるような連結送水管設備を城郭内に設けるべきだとした。貯水槽の増設や煙探知機の設置も提言している。

 ■管理態勢の問題

 国の技術検討委の報告書には、管理態勢などソフト面の防火対策には言及がない。同委は首里城正殿再建に向けた工程表を作るための組織であり、検討はハード面に限られていたからだ。

 管理態勢をめぐる問題点がなかったわけではない。首里城では、職員が少人数しかいない夜間の出火を想定した防火訓練を行っていなかった。出火当時、警備員1人が火元とみられる正殿の様子を確認している間、残る2人の職員は仮眠を取ったままだったことも明らかになっている。

 首里城正殿や南殿、北殿など今回焼失した建築が位置する城郭内は国営公園だが、その管理・運営は昨年2月に県へ移管されている。ソフト面の防火対策は県に委ねられているといってよい。

 ■火災原因不明のまま

 県は3月18日、首里城火災再発防止検討委員会の初会合を開き、管理態勢の見直しに着手した。来年3月までに結果を知事に提出する予定だ。

 しかし、肝心の火災原因は不明のままだ。沖縄県警、那覇市消防局は火災原因を特定できないと結論付けた。火元は正殿北東部の延長コードとみられるが、捜査関係者は「延長コードの損傷が激しく、鑑定では思ったような結果は出なかった」と語る。けが人や死傷者が出たわけでもなく、誰も刑事責任を問われないまま捜査は終結した。

 こうした中で、どのように再発防止策を強化するのか。県検討委の委員長を務める弁護士の阿波連光氏は、管理態勢について「法的水準には達していたが、足りなかった部分を検討する」と説明する。

 首里城にスプリンクラーの設置義務はなく、昨年9月に出された文化財でのスプリンクラー設置を推奨する文部科学省の文書も、県から管理・運営を受託していた財団担当者は把握していなかった。

 法律の基準を満たすだけで満足するのではなく、どこまで法律を超えた対策に踏み込めるか。首里城の防火対策は緒に就いたばかりだ。

 【記者の独り言】 昨年10月31日未明、「首里城が燃えている」という報せを受け現場に駆け付けた。周辺住民が続々と集まり、多くの人が涙していた。取材している私も泣いてしまい立ち往生した。「首里城に行ったことがない」という沖縄県民は少なくない。当たり前の存在で、いつでも行けると思っていたからだ。そんな人たちもショックを受けていた。日本全国の文化財もまた、大事だが足が遠のく存在になっていまいか。失う前に地域の宝の価値に気付くことが最大の防火対策かもしれない。(杉本康士)

 【首里城】 琉球を統一した第一尚氏の尚巴志(しょうはし)が1427年までに造営を終えたとされる琉球王国の王城。過去に内乱などで計5回焼失している。昭和20年の沖縄戦では日本陸軍第32軍が司令部を置き、米軍の集中砲火を浴びた。平成4年に正殿などが再建され、12年には地下の遺構が世界遺産に登録されている。令和元年10月31日に焼失し、県や那覇市に寄せられた寄付金は30億円を超えている。

Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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