馬のまちとして知られる福島県南相馬市。毎年7月になると、約千年の伝統がある「相馬野馬追」が開かれる。市内には200頭を超す馬が一般家庭などで飼育され、馬と人が日常的に触れあう。
一方で、福島第一原発の事故により、市の人口は減り続けている。事故前と比べて約1万7千人が減少した。次世代を担う子どもたちも少なくなり、馬文化の継承も危うい。
馬に携わる若者と、それを支える大人たちの姿をカメラで追った。(小玉重隆)
早朝の海岸で馬を走らせる星幸栄紀(さえき)さん(左・16)と父の秀正さん(51)。相馬野馬追を迎える夏になると共に練習を繰り返す。秀正さんは、甲冑(かっちゅう)競馬で1位になるほどの腕を持つ。そんな父の影響で幸栄紀さんは馬に乗り始めた。「野馬追に関しては自慢の父ですが、口げんかは絶えません。短気で負けん気が強くて、性格が似ているからですかね」と笑う。「父がすごいのは、馬に蹴られても動じないこと。まるで家族のように馬への愛情が強い所を尊敬しています」。幸栄紀さんの母親は津波にのまれ亡くなった。今は、馬が中心の生活を送る。
花火で打ち上げた旗を馬上で争奪する「神旗争奪戦」に出るため、長男の深野聖馬(ふこうのしょうま)さん(右・17)に甲冑を着せる父の高広さん(55)。「家の名誉のためにも、息子には武勲をあげてほしい」と願う高広さんは、馬のひづめに蹄鉄(ていてつ)を打つ「装蹄(そうてい)師」だ。200頭を超す馬が同市内にいるとはいえ、仕事は少ない。そのため、関東から東北にかけて競走馬や乗馬クラブの馬を相手にしながら、毎日のように出張を続けている。「正直、馬だけで食っていくのは、大変ですよ。でも、息子には馬と関わる仕事に就いてくれたらうれしい」
「馬が障害を跳べるまでに数年かかっても、一瞬にして跳ばなくなることがあるんです」。そう話すのは、強豪の乗馬クラブ大瀧馬事苑に通う相馬農業高校3年生の高西久美子さん(18)。馬は乗る人を見透かすものだと教わった。普段から声をかけながら信頼関係を築くことの大切さを感じている。
「螺役(かいやく)」として、野馬追の様々な場面で合図のほら貝を吹く若狭椎奈(しいな)さん(18)。高校時代は、馬術の全国大会で好成績を残す優秀な乗り手だった。スカウトの声もかかったが、地元に残って就職した。「今、8割くらいの市民は野馬追に関心がないと感じる。残していくにはやばい状況なんですよ。関わる人が減っているからこそ、自分みたいな若い人が支えていかないと」と話す。
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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