地下鉄の霞ケ関駅の助役を務めていた夫の高橋一正さん(当時50)を亡くした、「地下鉄サリン事件被害者の会」代表世話人の高橋シズヱさん(73)が20日、同駅で報道陣に語った主な内容は次の通り。
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ふり返ると、事件から25年間は、それまでの生活とは全く違う経験をしてきました。2008年にオウム真理教犯罪被害者救済法ができるまでの13年間は、涙を流すヒマもなく突っ走ってきました。
11年に、それまでの裁判での死刑が確定したとき、私はもう事件から離れたいと思いました。しかし、そう思ったのもつかの間、逃亡していた3人が逮捕されてから、また(裁判の)傍聴の日々が繰り返されました。
この間、いろいろと勉強させられましたし、自分で勉強もしてきました。
姿形はなくても、ずっと主人と一緒に行動してきました。事件が起きた日は人生で最悪の一日でしたが、結婚してから今日まで、後悔していることは何一つありません。
これまで支えてくださった方々に感謝しています。
(3月14日に予定していた)25年の集いが(新型コロナウイルスの感染拡大により)中止になってから、3日間くらいボーッとしてしまいました。
私は、毎年集会が終わると、来年はどんなテーマでやろうかと、すぐ考え始めました。1年間の出来事も加味して企画を実現してきました。
今年は、遺族や被害者がスピーチする「ワンワード」というプログラムを考えていました。これは国連のテロ対策の一つとして、遺族がレジリエンス(回復力)に役立ったことをひとこと紙に書いて、それを持っている写真を、国連の建物のなかに掲示するイベントから、ヒントを得ました。
25年の集会のために、登壇する被害者や遺族と何度も打ち合わせをして、原稿を仕上げて、開催日を迎えるだけになっていました。
3月に行う集会を25年で最後にしようと思ったのは、私が大変だったからです。それに加え、どうして被害者や遺族が語り部を担わなければいけないのかと悩みましたし、人材や資金や準備にとられる時間などの負担もありました。
今後は、私たちが主体的に開催することはなくなると思いますので、政府の方々、オウム事件からの教訓をいかす関係省庁や団体には、どうかバトンを受けとっていただきたいと思います。
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル