(モノ語る 1945―2019)対馬丸に乗せていなければ 姉2人の死、父と母は沈黙(朝日新聞デジタル)

 「母は、兄姉のことは何も話してくれなかった」
 「対馬丸の話、父はほとんどしませんでした」
 昨秋から始めた遺族宅への訪問で、外間(ほかま)邦子さん(80)=那覇市=はたびたび、こんな言葉を聞いた。
 外間さんの両親も、そうだった。
 母・ツル子さんは、明治44年生まれ。笑顔の写真を見た記憶がない。父・宏栄(こうえい)さんは沖縄県庁に勤め、冗談をよく言う人だった。その父でさえ死んだ姉たちのことは話題にしなかった。
 母33歳、父35歳。1944年の夏に事件は起きた。
 サイパンが米軍に占拠され、次は沖縄が戦場になるとみた政府は、沖縄から本土への疎開を閣議決定した。…… 本文:1,347文字 この記事の続きをお読みいただくには、朝日新聞デジタルselect on Yahoo!ニュースの購入が必要です。

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Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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