その「おことば」が実現していたら、先の大戦を巡る天皇の責任論や国民の意識、そして近隣諸国との関係も違うものになっていたかもしれない。そう思わせる史料が明らかになった。
終戦後の宮内庁長官だった田島道治(みちじ)が、昭和天皇とのやり取りを克明に記した文書を残していた。遺族の提供を受けたNHKがその一部を公開した。
注目されるのは、サンフランシスコ講和条約の発効を祝う1952年5月3日の式典のおことばに、戦争への反省や悔恨を盛り込むよう、昭和天皇が田島に繰り返し求めていたことだ。しかし、戦争責任の追及や天皇の退位を求める声が大きくなるのを懸念した当時の吉田茂首相は、受け入れなかった。…… 本文:1,041文字 この記事の続きをお読みいただくには、朝日新聞デジタルselect on Yahoo!ニュースの購入が必要です。
朝日新聞社
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