松山市の住宅街の一角に、無人の「町」がある。建造物はなく、存在するのはゴミ捨て場、街灯、カーブミラー。どうしてこんな町があるのか。
松山市中心部から南東に3キロほど。無人の町の名前は「天山町(あまやままち)」という。家がひしめき、狭い道を車が行き交う住宅街の中にある。
民家は建っておらず、最大幅5~6メートルほどの歩道があるのみ。30秒ほどあれば1周できるこの狭い区画が、天山町の全貌(ぜんぼう)だ。住宅が立ち並ぶ北側と東側は「福音寺町」、西側は「天山1丁目」、南側は「天山2丁目」となっている。
「この歩道の部分だけ天山町なんですよ」。通りかかった人に話しかけてみると、「よう分からんこと言うな」「そこは福音寺町やろ」。北側の福音寺町に住んでいる男性(61)も「全く知りませんでした」。
ここに会社を持っていたという男性に行き着いた。西側の天山1丁目に住む木山清重さん(71)。「あの土地は市に売った。歩道の場所には倉庫があった」という。「交差点の道幅が狭くて、通学する子どものために歩道を作りたいと、市から申し出があった」。登記簿によると、確かに1992年に松山市に譲渡されている。
誰も住んでいないのに、なぜ独立した町名なのか。市都市デザイン課に聞くと、天山1丁目も2丁目ももとは「天山町」だった。分かれるきっかけとなったのが、1962年から全国で始まった住居表示制度。
それまで、土地についた「番地」で住所を表示していたが、番地が順序よく並んでいなかったり、町の境界が複雑だったりして、目的地が探しづらく、郵便物の遅配・誤配などの一因になっていた。
住居表示制度では、旧町を一定の大きさの区画(丁目)に分ける。その中で道路などに囲まれた1区域ごとに「番」を振り、さらにその区域内の建物に順序よく「号」がつけられる。
旧天山町の場合、2000年2月に住居表示制度に変更された。ただ、この時すでに現天山町の南側にあった道路が、「分断」の原因になったという。
制度では町と町の境界線を道路や河川、線路など「恒久的な施設」に沿って決めると規定。北側の福音寺町に隣接し、天山1、2丁目とは道路で隔てられた今の天山町は、天山側のいずれにも組み込めなかった。また、00年当時は誰も住んでいない市有地になっていたため利害関係もなく、どちらかの丁目に含める必要性もなかった。結局、天山町のまま残ることになったという。
町界を決める審議会では「(隣…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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