【まとめて読む】患者を生きる・職場で「不妊治療」
大阪府豊中市の社会科講師、木下優里さん(37)は、30歳の頃、通い始めた不妊治療の専門医院で、卵巣に残っている卵子の数の目安のホルモン値が低いと告げられました。焦りを感じつつ、治療を開始。大好きな仕事との両立に悩みながら、出した答えとは――。
「ホルモン値40歳」に動揺
2012年6月、市内の不妊治療専門医院「園田桃代(そのだ・ももよ)ARTクリニック」で検査結果を聞き、木下さんはがくぜんとした。卵巣に残っている卵子の数の目安となるホルモン値が「40歳の平均値ほど」と告げられたのだ。当時30歳。10歳も上だった。
22歳で大学を卒業。塾講師を1年した後、高校時代からの夢だった「社会科の先生」として、府内の私立中高一貫校で働き始めた。
24歳の頃、塾講師時代に同僚だった明彦(あきひこ)さん(38)と結婚した。子どもはほしかったし、いつかできるのが当たり前と思っていた。
しかし、授業を受け持った生徒たちが高校を卒業するまで、教えたいと仕事に熱中し、あっという間に時間は過ぎた。
気付けば28歳。そろそろ第1子がほしいと思った。これまで仕事を優先させてきたが、完全に避妊をしていたわけではなかった。健康な男女が、避妊せずに夫婦生活を1年間営んでも妊娠しない場合、「不妊症」と呼ばれる。
「ひょっとしたら子どもができにくいのかも……」。不安がよぎり、婦人科の医院に通い始めた。
医師の指導のもと、毎月、排卵日近くに、夫婦生活をもつ「タイミング法」を試した。しかし、1年以上経っても妊娠に至らない。医院が通勤ルート上になく、仕事終わりに駆け込む日々にも疲れ、一度は通院をやめた。
半年ほど経って思い直し、夫婦で門をたたいたのが、冒頭の不妊治療専門のクリニックだった。
子宮や卵管などの状態を調べる検査はすべて異常なし。夫も検査で異常はなく、「原因不明の不妊」と診断された。タイミング法を1年以上試していた経緯もあり、院長の園田桃代さん(49)は「スピードアップして、テンポよくいきましょう」と告げた。
ホルモン値は卵子の質とは関係しないし、妊娠する可能性を判定するものではない。それでも焦りとショックでいっぱいだった。家に帰って、泣きながら明彦さんに報告した。「別に(卵子が)ゼロやないんやから。残りあるねんから。がんばろう」。動じずに返してくれたその言葉に救われた。
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル