<Part2>【5金スペシャル映画特集】 救いようのないこの世界に映画が一筋の光明を見出し始めたわけ(ビデオニュース・ドットコム)

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 月の5回目の金曜日に無料で特別企画をお送りするマル激恒例の5金スペシャル。今回も昨年11月の前回に続き、映画特集をお送りする。

 今回扱う映画は「リチャード・ジュエル」、「ダークウォーターズ」、「ザ・ディスカバリー」、「アザーライフ」、「アンダン」、「リメインダー」、「オーロラの彼方へ」、「トータル・リコール」、「レディ・プレイヤー1」、「アバウト・タイム」、「ブレインストーム」の、何と11本。

 最初の2本は悪と戦う弁護士が大活躍する古典的な社会派ヒーロー譚だ。2019年にアメリカで公開された「リチャード・ジュエル」は現在日本でも劇場公開中。「ダークウォーターズ」も2019年末にアメリカで公開され、今、話題を呼んでいる作品だが、日本ではまだ未公開だ。確かにこの2本は社会派映画の定番と言っていい、弱者に寄り添う弁護士が社会悪と戦い最後に勝利を収めるという筋書きだが、しかし実際に映画を見た後で受ける印象はもう少し複雑だ。少なくとも勧善懲悪が実現し、溜飲を下げるという雰囲気にはならない。もっともリチャード・ジュエルのクリント・イーストウッドやダークウォーターズのトッド・ヘインズといった社会派にして一癖も二癖もある名匠が、社会を善と悪に単純に分けて、最後は善が勝つような水戸黄門的な映画を今さら作るとはとても思えないが、では彼らは何を描きたくてこのような社会派ヒーロー譚の定番とも言うべき題材を選んだのだろうか。

 そこに描かれている社会や人間に対する深い洞察や葛藤は、実際に劇場で映画を見て、個々人が自分自身と対話をすることによってのみ分かってくるものだ。強いて制作者のメッセージを深読みすれば、「汝自身の心の声を聞け」ということになるだろうか。少なくともこの2本は、昨今流行の敵味方の単純図式の中で自分を安全なところに置いたまま、最後は善が勝ち皆が溜飲を下げるというような安っぽい社会派ヒーロー譚として見てしまうと、制作者の意図の半分も伝わらないのではないか。

 とは言え、映画の中に描かれている、政府や大企業などの権力の暴走の危険性や、商業主義に毒されたメディアの問題点などは、今の日本にも当てはまるところが大いにあり、それだけでも十分に見る価値のある作品にはなっている。

 残る9本は、宮台真司が「時間軸」と「記憶」という二つのキーワードで選んだ作品だ。いずれもタイムスリップやテクノロジーによる記憶の塗り替えなどをテーマとしたものだが、多くの作品を時系列に並べてみると、こうした技術に対する社会の認識が「神の領域にまで踏み込む危険なもの」→「バラ色の未来を約束してくれる素晴らしいもの」→「時間の流れに乱れをきたすことでこの世を大混乱に陥れるもの」→「ろくでもない今の世界から逃避する手段としては妥当なもの」という具合に、肯定と否定の間を振り子のように繰り返してきていることがわかる。2018年のスピルバーグの「レディ・プレイヤー1」のように、現世は掃きだめのように救いようのない荒廃ぶりを晒していても、一歩オアシスと呼ばれるVRのネットワーク内に入れは、そこにはユートピアが待っているという設定をしておきながら、なぜかオアシスの住民たちがオアシスというシステムの所有権を巡り血眼になって争う設定になっていて、その動機がまったく説明されていなかったりするなど、矛盾をはらんだものも多い。ゲームやシステム企業の所有権など、あくまで現世においてのみ価値のあるものと思われる。

 今週の5金マル激スペシャルでは、世界が堕ちるところまで堕ちると、映画が社会の先陣を切って、そこから再び這い上がるための糸口やきっかけ探しを本気で始めているのではないかという仮説のもとで、異色の11作品を取り上げながら、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)



Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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