今年3月まで毎月掲載していた佐伯啓思・京大名誉教授のコラム「異論のススメ」は、今年度からは「異論のススメ スペシャル」の随時掲載になりました。今回が、スペシャル版の第1弾です。
葛藤の末に選んだ「死」に感動
先日、「NHKスペシャル」で、ある日本人女性が安楽死をとげるというドキュメントを放映しており、大きな反響をよんだようだ。私も見ていたが、かなり衝撃的であった。安楽死には基本的にふたつある。ひとつは消極的安楽死で、これは終末期にある患者に対して積極的な延命治療をしない、というもの。もうひとつは積極的安楽死で、こちらは、患者の意思が明確である、苦痛が耐えがたい、回復の見込みがない、代替治療がない、といったいくつかの条件のもとで、医療従事者が患者に対して積極的な死を与える、というものである。ここで問題なのは積極的安楽死であり、NHKの番組もこちらのケースである。
日本では積極的安楽死は法的に認められていない。世界的にみた場合、これを法的に容認しているのは、スイス、オランダ、アメリカのいくつかの州などわずかである。ただ、潮流としては、少しずつ容認の方向へ動いているようである。スイスには「ライフサークル」という自殺幇助(ほうじょ)団体があり、この団体を通して、医師の指示と幇助のもと、致死量の薬品によって自殺することができる。広い意味で積極的安楽死といってよい。この日本人女性も、スイスでの事実上の積極的安楽死を選択した。
この女性は、多系統萎縮症という難病を宣告され、徐々に身体機能を失ってゆく。回復の見込みはない。最後の選択は、まだしも自分の意思が明確に伝達でき、スイスまで移動できるだけの身体機能が残っている間に安楽死することであった。そうはいっても、家族である2人の姉は、簡単には受け入れられない。何度も話し合った結果、最終的に妹の意思を尊重し、スイスで妹の死の現場に立ち会う。その一部始終をNHKは記録していた。この経緯については、宮下洋一「安楽死を遂げた日本人」でも詳しく書かれている。
点滴によって致死量の薬品をみずからの意思で投与し、ほんの数分で眠るように死んでいったこの女性と、彼女を見守るふたりの姉の映像を見ていて、私は、言葉は悪いが、何か妙に崇高な感動を覚えた。この場合、崇高というのは、すばらしいとか気高いという意味とは少し違う。とても涙なしに見られる映像ではない。だが、ここには、葛藤のあげくに「死」という運命をついに受け入れ、しかもそれを安楽死において実行するという決断にたどりついた姉妹たちの無念が、ある静謐(せいひつ)な厳粛さとともに昇華されてゆくように感じられたからである。
■動物は死なず、生命が消え…
980円で月300本まで有料記事を読めるお得なシンプルコースのお申し込みはこちら
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル