0-122深浦高校、野球部員0…学校も存続危機(日刊スポーツ)

松坂大輔の決勝戦ノーヒットノーランで、横浜高校が史上5校目の春夏連覇を達成した1998年(平10)、青森大会で史上最多得点差の0-122で敗れ、全国レベルの話題となった深浦高校(現・木造高校深浦校舎)野球部が今夏、部員ゼロになり、16日から始まる秋季地区大会を辞退した。部員ゼロは初めて。同校は来春の新入生に期待するが、状況は厳しく、部員確保の見通しは立っていない。

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サッカー部や陸上部などとの共用ではない専用のグラウンド。まだ新しい部室には、青森から深紅の優勝旗にあと1歩に迫った三沢高校・太田幸司さんの「夢への挑戦」と書かれた色紙が飾られていた。しかし、グラウンドにも部室にも部員はいなかった。

中村亮太監督(28)は「グラウンドに人がいないのはこんなに寂しいものかと思います」と漏らした。2年前、3年生が最後の夏を終え、部員は永谷優樹君1人になった。以来、平日2時間半の練習は、監督と永谷君がキャッチボールし、ティーバッティング、フリーバッティング、ノック。フリーでは監督が約100球投げ、終わると2人でボールを拾い集めた。

「中学の野球経験者に声を掛けるのですが、『1人じゃちょっと…。友達と一緒じゃないと』と言います。最近の傾向です。経験者5人が全員バドミントン部に行った年もありました。丸刈りにもしていないんですが…」(中村監督)。春、夏、秋の大会には合同チームで参加してきた。しかし、この夏の青森明の星戦(0●10)が最後の試合になった。「自分の代で途切れてしまい、試合に出られないのは悔しい思いがあります」(永谷君)。

同校には野球、陸上、サッカー、卓球、バドミントンと5つの運動部があるが、部員ゼロは野球だけだ。「全員、どこかの部に所属しています。存続のためだけに、幽霊部員をつくるわけにはいかない。あとは新入生次第です」と中村監督は来春に期待を寄せる。しかし、0-122という歴史的な記録を残した21年前から人口が4000人減り、約8000人となった深浦町は、全国平均以上に少子化と野球人口の減少が進んでいる。町内の3中学の野球部員は合わせて18人。すべての中学で野球部の顧問を務め、現在は大戸瀬中に赴任している川村真人教諭(58)は「3年生は7人いますが、(秋田県の)能代の学校に行く子が多い岩崎中が3人、鰺ケ沢に近く鰺ケ沢や五所川原の学校に行く子が多い大戸瀬中が4人で、深浦中は3年ゼロです。今の3年生で深浦校舎に行く子はいないかもしれない」と話す。

青森県教育庁によると、深浦校舎は「入学者数が2年連続20人未満となった場合、募集停止に向けて深浦町と協議する」ことになっているという。今春の入学者は16人。来春、20人未満になった場合、募集停止となる可能性がある。全国に名をはせた深浦高校は野球部も学校自体も存亡の機を迎えている。【中嶋文明】

98年当時、監督だった県教育庁指導主事の工藤慶憲さん(46) 今は野球をやりたいという子が1人でもいれば、やれる仕組みができています。深浦校舎がずっと大会に参加できて良かったなと思っていたのですが…。やりたいという子が現れることを期待しています。

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Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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