10月1日はハンコの日。全印協の47歳副会長、河野太郎行革相に「僕らをバサッと切らないで」(BUSINESS INSIDER JAPAN)

「祖父がかっこよかった」明治から続く家業を24歳で承継

福島さんは、1892(明治25)年創業のハンコ店・福島印房の4代目。東京の下町・上野でハンコを彫る祖父の背中を見て育ってきた。 「もう、祖父がかっこよかったんです。彫っている姿はもちろん、地方から出てきた弟子に教えているのも見ていて。国から『現代の名工』にも選ばれていましたし、憧れがありましたね」 家業を継ぐように言われたことは、一度もない。しかし中学校に上がる頃には、ハンコを彫れるようになっていたという。 「書道の作品に押す落款印を作りたかったんです。『おじいちゃん、教えてよ』と祖父に頼んで字を入れてもらい、それを彫刻刀で掘ったのが始まりです。学校では版画を作る授業があったんですが、あんなの余裕でしたね(笑)」 大学生になった福島さんは、バブル期で繁盛していた家業を手伝うようになった。卒業後は製薬会社に就職するが、父の病気をきっかけに家業を継ぐ決意をする。24歳のときだ。「祖先が築いてきた印鑑文化を守りたかった」と、当時を振り返る。 ところがハンコの売り上げは、バブル期をピークにすでに減少傾向へと向かっていた。福島さんはその背景を次のように語った。 「人口減少に加えて、一人が持つハンコの本数が減ったことも要因だと思います。今は実印と銀行印と認印、多くてもこの3本ですよね。でも昔は、一人5~10本のハンコを持っている人もいた。複数の団体で理事をしていて、団体ごとに議事録に押すハンコを変えている人がけっこういたんです」 福島さんは法人向けの印刷の仕事を拡大し、ハンコの売り上げ減少分を補いつつ、老舗の看板を守ってきた。売り上げの減少ペースが常に緩やかだったのは、長い間ハンコが生活必需品だったからだ。

Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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