関東大震災が起きた100年前は、まだラジオ放送も始まっていない時代だった。被害の状況は、新聞や雑誌、ニュース映画を通じて全国に伝えられた。ほかにも、個人で被災地の写真を伝えられるメディアがあった。
当時出回った「震災絵はがき」だ。現代なら、SNSで発信するようなものだったかもしれない。
朝日新聞社に多数残る関東大震災の写真には、記者が撮影した写真のほかに、当時の震災絵はがきも含まれている。
浅草や日本橋、銀座など、当時の東京の街を写した絵はがきには、崩れたり焼けたりした建物と人々の姿がある。一面が焼け野原になり煙がくすぶる様子から、配給を待つ人々の姿まで様々な場面が取り上げられていた。
現代の感覚からすると、およそ絵はがきにふさわしくない写真ばかりだ。火災で4万人近くが亡くなった旧陸軍被服廠(しょう)跡(今の東京都墨田区)を扱った絵はがきでは、積み上がった焼死体や遺骨の写真も使われた。
白黒写真に着色してカラー化したものや、炎や煙をかき足し誇張したものも出回っていた。
当時は、日本だけでなく海外の災害でも、被災地の状況を伝える絵はがきが各国で作られていたという。電話もまだ身近とはいえない時代、はがきは手ごろな連絡手段だった。
「絵はがきといえば、きれい…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル