宮城県気仙沼市南部の大谷海岸海水浴場で20日、県内のトップを切って海開きがあった。2011年の津波を経て、11年ぶりの復活だ。砂浜を埋める形で防潮堤が計画されていたが、長い交渉の結果、住民の思いが通って残すことになった。「あの日」とは打って変わった穏やかな浜辺で、保全に力を尽くした関係者は静かに手を合わせた。
「3・11の被害があまりに大きく、海開きまでに長い年月がかかった」。本吉観光協会長の芳賀勝寿さん(73)は、こうあいさつした。観光関係者や市、警察官ら約30人が海に向けて玉串を捧げ、合掌した。
当時「防潮堤を勉強する会」の発起人を務め、住民同士の意見調整や行政との交渉に当たった市議の三浦友幸さん(40)も参列した。三浦さんは津波で自宅と母を失った。
「『砂浜を守る』という1点で地域が一丸となれたことが大きい。犠牲者も待っていたであろう今日という日を、私たちの誇りとして子どもたちに伝えていきたい」と語った。
震災前、同海水浴場は白砂青松で知られる県内有数のスポットで、JR気仙沼線の駅もそばにあり、市によると震災前年の10年度は約6万5千人が訪れていた。しかし、津波でがれきに埋もれ、海岸沿いの住宅地も壊滅した。
国などは砂浜に高さ9・8メ…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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