東日本大震災で死亡し、身元がわからないままの遺体がいまも岩手、宮城両県で53体ある。震災から11年。両県警は、新たな身元の特定方法や捜査の積み重ねで多くを家族・親族の元に帰したが、最後の一人を特定するまで捜査は終わらない。(宮脇稜平)
「10年以上経っているから内心は噓(うそ)じゃないかと」
震災で死者・行方不明者が合わせて800人以上にのぼった岩手県山田町。昨年11月に県警から、保管している遺骨が父の竹内直治さん(当時78)だと特定されたことを知らされた男性は最初、そう思った。
震災当時、男性は直治さんと母の3人暮らし。両親は避難しようと玄関を開けたところ津波にのまれ、男性は母を2階に引き上げたが、直治さんは流されて行方不明になっていた。
自宅の敷地内で見つかった骨は別人のものだった。
お墓には直治さんの服を入れて弔ってきたが、遺骨は10年8カ月経ってようやく家族のもとに帰った。
男性は「おやじもやっと安心したんじゃないか。まだ遺体が戻らない知り合いも多い。身元が判明する人が今後も出ることを期待したい」と語る。
直治さんの身元特定の鍵となったのは、細胞内にあるミトコンドリアDNAを使った鑑定法だ。
鑑定では一般的に、細胞内に一つしかない核の中のDNAを使うが、ミトコンドリアは数十から数万含まれるため、損傷が激しい遺体でも採取しやすく、捜査にも広く使われている。
震災時、岩手県内では山田町や大槌町で大規模な火災が発生。遺体の損傷が激しく、県警が昨年4月時点で保管していた身元不明の遺体48体のうち、30体は核からDNAが採取できていなかった。
そこで県警は今年度から3年計画で、この30体を対象にミトコンドリアによる鑑定を始めた。ミトコンドリアからは母方のDNAしか採れないため、親族に行方不明者がいないかや遺体の発見場所など、10年余りの捜査で蓄積した情報とすりあわせて結論を導き出した。
捜査1課の担当者は「何年経とうと、やれることはすべてやる」。この手法で身元が特定されたのは、岩手県内では直治さんが初めてだった。
被災場所を逆算する手法も
2011年3月11日に発生…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル