35年前の8月12日午後6時、乗客乗員524人を乗せて東京・羽田空港を出発した日本航空123便の搭乗前後に撮影された10枚の写真がある。群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落した機体から回収されたフィルムに残されていた。一コマ一コマが、再発防止を静かに訴える。
写真は、事故で両親と妹の家族3人を失った小川領一さん(51)の手元にある。事故後、フィルムが入ったカメラは群馬県警が捜査資料として保管していたが、事故から5年後の1990年に刑事責任を問う業務上過失致死傷罪の時効が成立し、小川さんに返された。
24枚撮りのフィルムには10コマ写っていた。離陸直後に機外を窓越しに撮影したとみられる連続したコマには、東京湾とみられる海や富士山、夕日で赤く染まり始めた雲などが写る。
最後の2コマで状況は一変した。機内の天井から酸素マスクがぶら下がっている。圧力隔壁が破損した直後と考えられ、通路に立ってマスクの使い方を乗客に教えているとみられる客室乗務員の姿もあった。
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乗り合わせていたのは父の哲さん(当時41)と母昌子さん(同43)、妹の知佐子さん(同8)。東京ディズニーランドから大阪の自宅への帰途だった。
親戚らと一緒に遺体安置所があった群馬県藤岡市で、3人の遺体がそろって見つかるまで1週間ほど待った。気が張っていて、「正直、悲しいという感覚がなかった。泣いた記憶もあまりなかった」という。そんな中、遺品のカメラの存在を知らされた。「機内の写真はこれだけ」と警察官から説明を受けた。
状況から父が撮影した可能性が高いが、なぜ混乱する機内を撮影したのか。答えは永遠に謎となってしまった。だが、「残してくれた写真を事故の再発防止に役立ててほしい」との思いから、返却された当時大学生になっていた小川さんは自ら記者会見を開き、10枚のうち6枚をマスコミに公開した。
2015年には、機体の一部や…
2種類
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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