瀬戸内海の長島にある日本初の国立ハンセン病療養所「長島愛生園(あいせいえん)」(岡山県瀬戸内市)で、開園翌年の1931~56年に死亡した入所者のうち、少なくとも1834人の遺体が解剖されていたことを示す「解剖録」が確認された。愛生園によると、この間の死亡者の8割を超え、専門家は「入所者の解剖が常態化していたことを具体的に裏付ける資料」と話している。国立ハンセン病療養所の入所者の解剖がこれほど大規模に確認されるのは異例。
解剖録は計32冊あり、解剖の日付や入所者の名前、手書きの検体図などが記されていた。1人につきA4判で数枚程度。ドイツ語と日本語などで項目ごとに丁寧に書かれ、臓器の状態などを色で塗って説明したものもある。44年末までに限れば死亡者の約97%が解剖されていたという。
園は、園内の医師が、診断や治療に誤りがなかったかの検証や、ハンセン病の研究のため、解剖を行っていたとみている。
園によると、非常勤職員の1人が10年以上前、廃棄予定だった解剖録を「入所者の生きた証し」と考え、園の許可を得たうえで保管。園内の一室で人数などを独自に調べ、昨年末、調査結果を園側に報告した。
報告を受け、園は入所者らの解剖への同意について調べるため、同意を示す署名や母印がある「死亡者関係書類」を調査。その結果、同意の日付の多くは死亡日の直前、3~7日前だった。当時の医師とよく似た筆跡もあったという。園は「危篤状態の入所者からどう同意をとったのか疑問が残る」としている。
また、存命の入所者の一人は朝日新聞の取材に「(懇意の入所者が亡くなった時)園側から代理での同意を求められて応じた」と証言。園によると、当時、本人の同意がないまま、第三者から同意を取るケースもあったという。
国の第三者機関「ハンセン病問題に関する検証会議」は2005年の最終報告書で、ハンセン病療養所での解剖について言及。1920年頃には解剖が始まっていた可能性や、戦後以降も解剖は常態化され80年頃まで続いていた、と指摘した。
検証会議で副座長をつとめた内田博文・九州大名誉教授(刑事法)は、解剖に関する調査は各施設の報告がベースで「検証は十分でなかった」と説明。
確認された解剖録は、解剖の実態を具体的に示す貴重な記録だとした上で「強制隔離された入所者と園には強い上下関係があり、同意は事実上強制だった可能性もある。(解剖録は)ハンセン病患者の人権を軽んじた歴史の一端を考える資料にもなる」と話す。
国立ハンセン病療養所の入所者の解剖を巡っては、菊池恵楓園(けいふうえん、熊本県合志〈こうし〉市)が昨年、前身時代を含む1911~65年に少なくとも389人が解剖されていたとする調査結果をまとめている。
「薬で治る病気」になっても続いた解剖 目的は…
日本初の国立ハンセン病療養所「長島愛生園」(岡山県瀬戸内市)で確認された「解剖録」には、解剖された1834人の名前や解剖日などが記されている。入所者たちからは「埋もれた歴史を表に出してほしい」との声があがる。
「入所者が解剖されるのは当た…
2種類
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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