23歳の新人記者が山笠に浸った1カ月 伝統を守る「変化」を見た

【動画】博多祇園山笠の「追い山」に参加する太田悠斗記者=西岡矩毅、板倉大地 豊島鉄博、鈴木優香、大下美倫撮影

 「オイサ!オイサ!」

 立ちこめる熱気が空気を揺らす。沿道から勢いよくかけられる清めの水を浴びながら、野太い掛け声と共に山笠が街を疾走する。

 博多に夏を告げる神事「博多祇園山笠」が15日、終幕の「追い山」を迎えた。

 約1トンを超える山笠(やま)を担ぎ、七つの「流(ながれ)」の男たちが通りを駆ける。782年続くとされる伝統行事に、新人として福岡に赴任した記者(23)が、「東流」の一員として参加した。

 きっかけは6月2日に行われた、山笠が無事に奉納されるよう祈願する行事の取材だ。

 「話を聞くだけじゃわからんよ」。東流のベテランに声をかけられた。もっと山笠を知りたい。そんなもどかしさを感じていた私は、さっそく翌週から東流に属する町「駅前」の会合に通い始めた。

 「博多っ子は山笠で育つ」。見知らぬ土地での取材に苦戦するなか、先輩たちは祭りの準備を共にしながら、自分たちの気質や言葉、礼儀を仕込んでくれた。

 80歳を超えた「おいしゃん」に立ち振る舞いを教わり、小学生のちびっこに怒られ方を学んだ。

守る伝統、でも変化する「山笠」の姿

 会合では老若問わず意見を出し合った。「(神事の後に飲食を共にする)直会(なおらい)で出すのを総菜にすれば負担を減らせるんじゃないと?」「新人向けに山笠の勉強会を開こうか」

 「よそ者」の自分に意見を求められることもあった。伝統を守る一方、それぞれ大切な居場所でもある神事を続けるため、変化してゆく「山笠」の姿を目の当たりにした。

 福岡市は人口増加が続く元気な都市だが、山笠の参加者は減少を続けている。私も、地元に根ざす山笠を、閉ざされた「博多っ子」だけの世界だと思っていた。

 しかし中に飛び込んで見えたのは、山笠を通して緩やかにつながる「でこぼこ」な関係だ。

 年齢も生業も、ここでは関係ない。同じ土地に生き、同じ山笠を動かす。それだけでだれもに開かれた居場所が、ここにはある。

 そして迎えた7月1日からの祭り本番。私も、通りにしめ縄を張る「注連(しめ)下ろし」から、箱崎浜に清めの砂を取りに行く9日の「お汐井(しおい)とり」、11日の「朝山」、12日の「追い山ならし」、13日の「集団山見せ」と、次々と続く行事に参加した。

 ふんどしの「締め込み」姿で動き回るのにもだいぶ慣れ、山笠特有のかけ声や「祝いめでた」のうたもすんなり口から出てくるようになった。手拍子の「博多手一本」も、もうお手の物だ。

迎えた祭り最終日 「後押し」を任される

 最終日、15日の追い山。任されたのは「後押し」だ。

 東流の山笠を一度に担ぐ「舁(か)き手」は30人弱。約5キロの道のりを、数百人の参加者が交代しながら山笠を担ぎ、早ければ30分程度で走り通す。

 「後押し」は、山笠の後ろに連なり、歩調を合わせて全体を前に押しすすめる役だ。

 緊張と高揚で身体がこわばっていた。午前4時59分に一番山笠の「土居流」が出発すると、空気が変わった。東流は三番手。午前5時10分ごろ、太鼓の音と共に走り出すと、今までにない速さで足が回る。

 前を走る仲間の締め込みをぐっと押し上げたそのとき、ぬれた地面に足を取られ、前にのめった。

 ほぼ同じ道のりを走る「追い山ならし」ですりむいたひざに、力が入らない。頭が真っ白になった。

 「けがなく無事に奉納せんと…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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