36色の色鉛筆で描いた似顔絵 捜査官が忘れられない、12年前の涙

 12年前の東京電力福島第一原発事故では、原発が立地する福島県沿岸部から多くの住民が避難を強いられた。避難所に集まった人々の心のケアにあたるため、山梨県警からもたくさんの警察官が福島に派遣された。その中には、得意のイラストで子どもを励ます「似顔絵捜査官」がいた。

 その捜査官は生活安全企画課の警部補、土橋枝利子さん(42)。当時は鰍沢署地域課の巡査長だった。福島とは縁がなく、訪れたこともなかった。

 東日本大震災の発生から2カ月余りが過ぎた2011年5月24日から約1週間、福島県内の避難所を約10カ所巡回した。警察官数人でチームを組み、「お元気ですか」と声をかけ、相談事や要望を聞きながら防犯パトロールを続けた。

 「帰りたい」「死ぬまでに家に戻って、あそこで死にたい」

 ひざ詰めで話し込んだ何人ものお年寄りがそんな風に嘆いていた。原発事故の収束が全く見通せず、故郷に帰還できるめどは立たないからだ。軽々に「帰れますよ」とは言えず、ただ聞くだけだった。

 避難所には子どもも多かった。しかし、避難所暮らしは周囲に気を使い、大声ではしゃぐこともはばかられる。そこで、「子どもが自然と笑顔になれる手伝いがしたい」と考えた。

 土橋さんは趣味のイラストの腕前が認められ、県警の似顔絵捜査官に任命されていた。福島を訪れて4日目、第一原発から西に約100キロ離れた会津若松市の避難所を訪ねた。土橋さんは山梨から持ってきた36色の色鉛筆を取り出し、女の子の似顔絵を約20分かけて仕上げた。

似顔絵を眺める、子どももお年寄りも笑っていた

 たちまち人の輪ができ、周りの小学生から「私も描いて」とせがまれた。似顔絵を眺める子どもも、お年寄りも笑っていた。

 どの避難所でも、描いたのは笑顔だった。「自分の笑顔を見れば、いつでも自然と笑えますからね」。当時の取材にそう答えていた。

 福島県警の警察官の似顔絵も描いた。警察官もまた被災者。疲れた心を癒やしたかった。あの時、似顔絵を描いてあげた女性警察官が流した涙は忘れない。

 あれから、多忙な業務やコロナ禍もあり、福島を再訪できずにいる。「ずっと会えない親戚がいる街に遊びに行きたい。そんな思いですね」。土橋さんはアルバムを見返してつぶやいた。(池田拓哉)

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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