37年前の学級会、僕は未熟だった 市長を批判した校長が思うこと

 大阪市松井一郎市長に「提言書」を送った大阪市立木川南小学校の久保敬校長(60)が、今月末で退職する。実名を出して市長の教育施策を批判したのはなぜか。新人教師時代の失敗から学んだこととは。思いを語ってもらった。

 この3月で定年退職し、37年間の教師生活を終えることになりました。

 毎朝、校門に立って子どもたち一人ずつに「おはよう」と言う時間がなくなるわけで、喪失感は大きいんかな……と思ってます。

 昨年5月、大阪市の松井一郎市長と山本晋次教育長に実名で提言書を書きました。悩んだけど、緊急事態宣言の時に市長が決めた小中学校の学習方針で学校現場は混乱していると伝えたかった。

 「自宅オンライン学習が基本」としつつも給食のため登校し、登校時間は家庭の希望によってバラバラ。うちは通学路に車が多いので集団登校しないと危ないと思いました。

 それなのにトップダウンで決めるのはどうなんかなと。提言書のことで教育委員会から文書訓告も受けたけど、後悔はしてません。

「思った通りに学級運営できてる」そのときが危ない

 思えば、教師生活は失敗から学んだことがほとんどでした。

 「自分の思ったとおりに学級運営できてる」とか思ってるとき、調子のいいときが一番危ない。

 教師1年目、23歳のときのことです。

 担任をした5年生クラスに知的障害のあるトシくんという男の子がいました。下校のときは誰かが家まで送っていく必要があった。

 4月に「トシくんを支えよう」とクラスの目標を立てさせ、子どもらは大勢でトシくんを家まで送りました。

 でも徐々に人数が減り、梅雨明けにはおとなしい女の子2人だけになった。

 学級会を開き、僕が「どうなってんねん」と聞くと、みんな下を向きます。

 「当番制でトシくんを送ろう」と話がまとまりかけると、一人が「私、習い事あるから無理や」と言う。すると別の子が「おまえ、そんなひどいこと言うんか。毎日送るわけじゃないし、いけるやろ」。今度はみんなが一緒になってその子を責めだした。

 そのときです。

 トシくんを送っている女の子2人のうち、モリキタさんという子がまっすぐ手を挙げました。

モリキタさんはなぜ手を挙げたのか。おとなしかった彼女がクラスメートたちに訴えたかったこととは。久保さんは自らの「思い上がり」に気づきます。

 普段はほんまにしゃべらない…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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