「第一原発の建設現場には何度も入ったことがあるんだよ。原子炉建屋に入り、フラスコを真下から見上げたこともある。いまは絶対に行けない場所だよ」
父の大内義洋(よしひろ)(77)は、福島県いわき市の小名浜(おなはま)港で働く公務員でした。今年初め、両親と東京電力福島第一原発(大熊町、双葉町)近くまでドライブした道中で、父は福島第一原発についてこんな思い出を話し始めました。
「もう、やる気なくしてるよ、だんだん」。実家の田んぼを大内悟史記者と訪ねた父・義洋さんは、そうつぶやきました。美しかったふるさとの景色は、いま……。ポッドキャストで大内記者の取材を追体験できます。
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1960年代、日本は高度経済成長期の電力需要をまかなうべく、原子力発電に積極的に取り組んでいました。東京電力は米ゼネラル・エレクトリック(GE)の技術を導入して原発建設を進めました。
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- 実家の半壊や祖母の震災関連死。放射能の数値。そして両親は70歳代に――。東日本大震災の被災地である福島県いわき市に生まれ育った47歳の記者が、この10年間に故郷の農村と家族の身の回りに起きた出来事を、10回にわたってつづります。
拡大する双葉町産業交流センター屋上から福島第一原発方面を望む。手前は中間貯蔵施設のエリアで、正面左奥に原発の排気筒が見える=福島県双葉町
現在のIHI、日立、鹿島など…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル