遠足中の小学生を含む100人が津波で亡くなった日本海中部地震から26日で40年となった。この災害を原点に研究の道に進み、津波工学の第一人者と呼ばれるようになった研究者がいる。その後も日本は東日本大震災をはじめ、人々の想定や過去の経験を超える津波被害に度々見舞われてきた。何を思うのか。
松林の松がなぎ倒され、船が乗り上げている。家屋が破壊され、ヘドロのにおいが立ちこめる中、必至になって行方不明者を捜す人の姿があちこちに見える――。
1983年5月26日の正午ごろ、秋田県沖を震源とする日本海中部地震が発生し、日本海側の広い範囲が津波に襲われた。東北大の今村文彦教授(61)=津波工学=は2週間ほど後に秋田県北部に現地調査に入り、初めて見る津波被害の光景に衝撃を受けた。
当時は東北大の4年生で、津波工学を提唱した首藤伸夫教授(現・名誉教授)の研究室に入って2カ月ほどだった。
生まれてから高校まで山梨県で育ち、海はあこがれの場所だった。大学2年の夏には、東北の沿岸を三陸海岸や下北半島、日本海側までの1千キロ超をバイクでめぐった。海の美しさを満喫するとともに、沿岸のコンクリートの壁や石碑の多さに違和感を感じた。
津波の高さを測る手伝いをしながら、はっとした。「あれは防潮堤や、津波被害を後世に伝えている伝承碑だったのか」
日本海中部地震の、地震の規模を示すマグニチュード(M)は7・7。最大震度は5(当時)で場所によっては大きな揺れを感じなかった人もいたが、わずか数分後に津波が来た。
青森県から秋田県にかけての津波の高さは5~6メートル、局所的には約14メートルに達し、秋田県男鹿市の海岸では遠足に来ていた小学4、5年生が津波に流され、13人が亡くなった。死者104人のうち100人が津波で命を落とした。
難を逃れた人たちに話を聞い…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
Leave a Comment