62歳で急逝した彫刻家、作品が「無縁」に 最期まで「芸術一筋」

 数々の芸術展で受賞を重ねてきた男性彫刻家が昨夏、急逝した。

 ただ一人の身内だった母親も、遺言を残さずに今年2月に亡くなった。

 残されたのが、百数十点の遺作と母親の遺骨。親類の縁が薄く、引き取り手が見つからず、ともに「無縁」になりかけている。

 彫刻家、松本憲宜さん(享年62)は、ステンレスや銅などの金属を素材とする抽象彫刻の作家だった。1983年に東京造形大学の彫刻科を卒業後、ヘンリー・ムーア大賞展のエミリオ・グレコ特別優秀賞(1987年)や、日本芸術センター彫刻コンクールの金賞(2009年)など、いくつものコンクールで賞を受けてきた。

 輝く金属を有機的な曲線で造形し、力と優しさを表現した作風が特徴。鹿児島県枕崎市東京都調布市、北海道洞爺湖町などの公園や街角で展示され、多くの人たちに親しまれている。

 学生時代の友人たちによると、80年代当時、美大の彫刻科を出ても、創作だけで食べていくのは難しかった。多くの卒業生は、美術学校の講師などのアルバイトで食いつなごうとした。だが、松本さんは「副業」を一切せず、芸術で生きていくことを貫いたという。

 卒業して数年後、彫刻家の道を歩む同窓の先輩2人と共に東京都八王子市にアトリエを構え、ひたすら制作活動に取り組んできた。近年は東京・銀座の画廊や百貨店で個展が開かれるなど、円熟期を迎えての活躍が期待されていた。

アトリエで倒れ…

 昨年8月10日、最高気温35・6度の猛暑の昼下がり。

 松本さんは、アトリエで倒れ…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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