今日9月20日は「空の日」。航空への理解や関心を高めることを目的に設けられた記念日です。では、この記念日は、どのような歴史を経て誕生したのでしょうか。
徳川好敏、空を飛ぶ
明治43(1910)年12月19日、陸軍の代々木練兵場(現在の代々木公園など)から全長12mの飛行機が飛び立ち、約3分間飛行を続けました。飛行機はフランスから購入したアンリ・ファルマン複葉機。日本における「飛行機の初飛行」です。
操縦した青年の名は、徳川好敏(よしとし)。その名からもわかるように、江戸幕府を開いた徳川家康の子孫にあたり、最後の将軍・慶喜は大叔父にあたります。とはいえ、当時の好敏には、かつての「徳川家」の威光はありませんでした。好敏幼少時に、金づかいの荒かった父の篤守(清水徳川家当主)が経済的な理由により、また、詐欺罪で訴えられたこともあって爵位を返上。清水徳川家は完全に没落していたのです。
「飛行機」という分野はまだ将来が見通せず、また、つねに「死」がつきまとう危険に満ちたものでした。しかし好敏はあえてその世界に飛び込み、名をあげることで家名再興を果たそうとしたのです。そしてついに、「初飛行」の栄誉を手にしたのでした。
同日、飛行機研究の第一人者である日野熊蔵も、同じ場所で飛行に成功。2人の快挙は、「飛行機」が未知なるものだった日本国民に大きな衝撃を与えました。
「航空日」から「空の日」に
昭和15(1940)年、日野・徳川両陸軍大尉による日本初の動力飛行30周年を記念し、政府は「航空日」の制定を決定しました。この年は、日本の紀元2600年を祝う行事がいろいろおこなわれた年で、航空関係者の間から、航空の発展を願う国家的行事も実施すべきとの声が高まっていたのです。
同年9月28日、第1回の「航空日」には、学校、民間団体、新聞社など国全体がひとつになり、航空大会、グライダー大会、航空功労者表彰式など様々な行事がおこなわれました。
翌年から9月20日になった航空日は、第2次世界大戦後、連合軍から航空活動を禁止されたため一時中断しましたが、昭和28(1953)年に復活。平成4(1992)年、国民により親しみやすいネーミングをということで「空の日」に改称され、「空の旬間」(9月20日~30日)も同時に設けられました。
「空の旬間」には全国の空港で、管制塔見学、空港施設見学ツアーなど様々なイベントがおこなわれます。飛行機の発展を夢見た徳川好敏も、現在の航空技術の進歩を見れば、さぞかし驚くことでしょう。
ウェザーニュース
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