阪神・淡路大震災で亡くなった息子(当時9)のランドセルを、父親は大切にとっている。「自分を許せない」と、がむしゃらに働き続けた27年。「あの後、父さんは恥ずかしくない人生を送ってきたよ」。いつか天国で再会できたなら、そう言ってこのランドセルを返したい。
1995年1月17日。兵庫県西宮市の会社員、竹田守さん(66)はその晩、家族5人で回転ずしへ行くはずだった。次男の誠さんはマグロが大好きで、楽しみにしていた。前夜は「おやすみ!」と大きな声で言って部屋へ入った。それが最後の言葉だった。
午前5時46分。2階で寝ていると、誰かに背中を蹴られたように感じて目を覚ました。木造2階建ての自宅は崩れ落ちた。
外にはい出たが、1階で寝ていた誠さんの姿が見えない。はりの下敷きになっていたようだ。近所の人らとバールやノコギリなどあらゆる道具で瓦をはがし、がれきを取り払った。ガラスで手を切って血まみれになっても気にせずに続けたが、たどり着けない。
午後に大阪の消防隊が来て…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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