91歳の語り部…秘められた記憶と短歌に込めた思い(テレビ朝日系(ANN))

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広島では、75回目の『原爆の日』を迎えました。16歳の時に被爆した田中祐子さん(91)は、悲惨な体験を後世に伝える活動をしています。6日は、講演のため、広島市内の学校を訪れました。 田中さんは、爆心地からわずか1.8キロ離れた自宅で被爆しました。
田中祐子さん:「いきなりものすごいピカーと光って、そこから先がよくわからない。意識を失ったみたい」
田中さんには、今でも忘れられない記憶があります。
田中祐子さん:「うちの庭で犠牲になったいとこを焼いた。そうしたら焼かれていたいとこが、ビクンビクンって動いた。もう75年たちますけど、まだ夢に見る」 田中さんは、壮絶な記憶を、長い間、胸にしまい、被爆者であることをずっと隠してきました。本格的に語り始めたのは今年に入ってからです。きっかけは、パーキンソン病と診断され、余命宣告されたことだといいます。
田中祐子さん:「被爆してひどい目にあったのに語ろうともせず、抑え込んで生きてきたけど、死ぬならやっぱり、何かして死にたいという気持ちが湧いてきた。世界中の人がこんな目に遭わないように、やっぱり話さなくちゃいけないなと思った」 田中さんは、個人で講演活動を始めました。さらに、今年1月、より多くの人に被爆体験を聞いてもらうため、91歳になってから県の被爆者団体に加入することを決めました。講演と同じくライフワークといえるのが短歌です。
『生き残る者の義務なり原爆の 惨状すべて伝えねばならぬ』
『核兵器持つ国の人等よそを捨てて 真の平和の世界つくれよ』
短歌として形に残すことで、より多くの人に原爆の悲惨さを知ってほしいといいます。
田中祐子さん:「一番に伝えたいことは『戦争をしないで』と。戦争するから原爆もある。たくさん死んだ人のためにも、平和を築いていくのは、生き残った者の使命だと思う」

Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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