太平洋戦争末期の沖縄戦で渡嘉敷島に米軍が上陸し、住民300人以上が亡くなった「集団自決」から78年が経った28日、沖縄県渡嘉敷村で慰霊祭が開かれた。新型コロナ禍で中止が続き、4年ぶりの開催となり、遺族ら約100人が犠牲者を悼んだ。
泡盛や果物が供えられた祭壇前で、吉川嘉勝さん(84)は手を合わせた。当時6歳。捕虜になるなという日本軍の教えなどを背景に、住民たちの「集団自決」が起きた。吉川さん一家も試みたが、持ってきた手投げ弾は4発とも不発。母の「死ぬのはいつでもできる」という言葉で、死ぬのを諦めたという。
体験を伝え続けてきた吉川さんは「戦後に体験を語れぬまま亡くなった島民は多いが、風化も歪曲(わいきょく)もさせてはいけない。慰霊祭はそういう気持ちを発信し、次の世代に伝えていける場」と話す。
当時16歳の新垣キヨさん(…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル