数学の超難問「ABC予想」を証明した京都大の望月新一教授(51)は、米国の名門大を飛び級で卒業し、32歳の若さで京都大教授になった異例の経歴の持ち主だ。研究者仲間からは「独創的」との評判も聞かれる一方、アイドルの曲にのめり込む一面もある。
望月さんは1969年、日本人の父と米国人の母の間に生まれ、幼少期は妹と共に東京で育った。父の仕事の関係で5歳で渡米し、以来計18年間を米国で過ごした。
ジャーナリストの多賀幹子さんは、米国在住中の80年代、望月さんの母親にニューヨーク郊外の自宅に度々招かれた。望月さんが名門校フィリップス・エクセター・アカデミー在学中の15歳の頃だ。
「しんちゃん」と母親から呼ばれていた望月さんは、時間を惜しむように勉強し、哲学者のような雰囲気だったといい、多賀さんは「物ごとを見通すような聡明(そうめい)さと、優しいまなざしを持っていました」と振り返る。
この頃、多賀さんが望月さんの母親に取材して書いた雑誌の記事が残っている。それによると、小さい頃の望月さんは縄跳びが苦手な「ぶきっちょサン」だった。米国では空手を習い、日本の科学雑誌「ニュートン」を定期購読するほど科学好きだったという。
拡大する米国に住んでいた15歳の望月新一さんは、空手を習い、科学が好きだったという。母アンさんが雑誌の取材に明かしている=講談社が発行する女性誌「ソフィア」(1985年2月号)から
高校を2年で卒業した望月さんは、ノーベル賞受賞者を多数輩出するプリンストン大に飛び入学。ここを3年で終え、19歳の時に大学院へ。指導したのは、「数学のノーベル賞」と言われるフィールズ賞の受賞者、ゲルト・ファルティングス氏。「学生の時にすでに誇り高く、自己主張が強かった」とメールでの取材に当時を振り返った。
23歳で博士号を取得。帰国して京都大数理研に移り、32歳という異例の若さで教授に。望月さんをよく知る数学者は「独創的な数学者」と口をそろえる。
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル