「みんな一緒に、ちょっとずつ丁寧に」がルールの小学校
最初に通った小学校は東京郊外の公立小学校でした。1979年度入学の1年生はうじゃうじゃおり(いわゆる団塊ジュニア世代というやつです)、校舎に入り切らないので校庭に建てたプレハブ校舎で勉強することになりました。 プレハブ校舎には不服でしたが、私は小学生生活が割と気に入っていました。まず、いろんな新しい道具がもらえます。インクのいい匂いのするカラフルな教科書と、冷たくてサラサラの紙に薄い水色で線が引いてあるノート。表紙には虫とか花の写真がついています。算数のお道具箱にはお花の形の可愛いおはじきみたいな磁石がいっぱい入っていました。絵の道具も素敵です。 新しくて珍しい細々したものがたくさんもらえるということは、眺めたりいじったりするものがたくさん手に入ったということですから、それだけ気が散るということでもあります。 でも私としては授業中に、眺めたりいじったりするものがたくさんあるのは助かりました。先生から見たら、おしゃべりが多く、落ち着きがなく、授業に集中できない子どもだったでしょう。それは、目の前の美しいものや心地いいものよりも、授業が面白くなかったからなのです。 一番強い刺激に気を取られるのがADHDの特徴のようですから、それも理由かもしれません。わかりきっている「あ」の書き順なんかよりも、昨日買ったばかりの真新しい消しゴムの匂いや直角のエッジの美しさの方がよほどキラキラしていたし、嗅いだり撫でたり揉んだりしげしげと眺めたりして、私なりに真剣に未知なるものと出会っていたのです。それに思いついたことはすぐ人に言いたくなるので、どうしても私語が多くなります。 幼い頃から年上の人に囲まれて育ったので、とにかく早く大きくなりたいと思っていました。教科書を読めば先に進みたくなるし、6時間目まであると聞けばフルに授業を受けたくなる。通学路も寄り道しながら自分のペースで登下校したい。 ところがどうやら学校というところは何もかも「みんな一緒に、ちょっとずつ丁寧に」がルールらしいのです。1年生は午前中しか授業がなかったり、集団で登下校しなくてはならなかったりしました。つまらないなあ、なんでこんなぐずぐずしているのかな、と不服に思いました。 ああ面白そうだ、やってみたい!と思うと気が逸(はや)り、わかりきったことや既に経験していることをおさらいするのが苦痛なのです。 これはもしかしたら、ADHDの特徴である衝動性にも少し関係があるのかもしれません。頭の中でイメージしたことにワクワクすると、すぐに取り掛からないといられないのです。何か新しいことを習うのでも、平易な基礎学習とか反復練習などはすっ飛ばしたくなります。ですから、1年生になってしばらくの間はとっくに知っている平仮名を書き順からゆっくりゆっくり習って何回も練習するのが退屈で、じれったいなあと思いながらやっていました。平仮名なんかいいから、早く漢字を教えてくれよ、知らない漢字を!と。 これと関係があるのかもしれないですが、昔から、何かを買っても説明書をじっくり読みません。まず触ってこうかなとかいじってみて、どうしてもわからなければ説明書を見るけど大抵は読まない。なのでだいぶ経ってから「なんと、こんな機能が!」と発見することがあります。長年使っている電子レンジに物を入れて「レンジ」というボタンを押せばレンジが勝手に考えていい具合に加熱してくれる機能があるのも、つい先日友人が教えてくれるまで知りませんでした。
Source : 国内 – Yahoo!ニュース
Leave a Comment