PKO、30年の「変質」 途絶えた日本の部隊派遣、もうできない?

 国連平和維持活動(PKO)協力法が成立して15日で30年。この間、日本は13のPKOに自衛隊員ら延べ約1万人以上を派遣した。当初は部隊派遣が中心だったが、現在は要員派遣だけという状況が続く。最初の派遣部隊を率いた元自衛官は「もう部隊派遣はできない」と断言する。

 「もうだいぶたってしまったので意外と第三者的になってしまうかもしれません」。1992年6月15日の法成立を受け、同年9月にカンボジアに派遣された第1次施設大隊長の渡辺隆さん(68)は、そう言いつつも当時の経験を懐かしそうに振り返った。酷暑の中、道路や橋の補修に汗を流したこと。住民の笑顔に接し、やりがいを感じたこと。他国軍の司令官との意思疎通に苦労したこと――。

 だが、日本がこのとき初めて部隊を派遣したPKOから、現在は「変質」したという。

 「92年当時の国連のPKOに対するスタンスと、いまのスタンスはもう百八十度違う。その背景にあるのは、ボスニアやルワンダでジェノサイドを横目で見ながら何一つできなかったことでしょう」

 PKOのルーツは、第一次中東戦争後の48年に設立された国連休戦監視機構にさかのぼる。

湾岸戦争の「トラウマ」に端を発する日本のPKO。記事の後半では、初めての派遣部隊を率いた渡辺さんが見る「変質」の経緯と、現在の自衛隊がかかえる事情などから「部隊派遣できない」背景を読み解きます。

停戦監視から復興、介入、そして… 「変質」に日本は

 第1次中東戦争は、ユダヤ人

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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