死者・行方不明者が1万8000人を超えた東日本大震災は11日、発生から9年を迎えた。福島県浪江町は風評被害の少ない花の栽培に力を入れる。花農家の男性は「復興に少しでも役立てば」と挑戦を続けている。(安田 健二)
JR常磐線の全線運行再開を14日に控える浪江駅から車で20分ほどの苅宿地区。この一画にある2棟のビニールハウスで鈴木好道さん(65)はトルコギキョウの苗の周りに生えた雑草をつんでいた。約100坪の田んぼを借りて花の栽培を始めたのは2018年。「年は65なんだけど、2年生です」と朗らかに笑う。「まだまだ花で食っていけるとは考えてないが、復興の役に立てれば」。生まれ育った故郷への恩返しの思いは強い。
3月は卒業式や彼岸で、例年なら花の需要が高まる時期。だが今年は新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、政府が休校やイベントの自粛を要請し、全国的に需要が急減。農林水産省が今月に入って花の消費拡大を図る施策を急きょ打ち出すほどだ。「日本全体からすれば自粛が続いて需要が少なくなったと感じられるが、うちはハウス2つだし、出荷の数量が少ない。個人的に直接的な影響はない」。鈴木さんは気にするそぶりを見せなかった。
浪江町が産地化を目指すトルコギキョウの花言葉の一つが「希望」だ。震災後、いち早く農業による復興に取り組むNPO法人「Jin」代表の川村博さん(64)は「浪江のトルコギキョウは茎が太くて日持ちする。全体のバランスがよく、花が大きい」と話す。町も積極的に県外に出て「なみえのはな」としてアピールする。
鈴木さんは、川村さんの指導を仰いで花農家になった。震災前は町内でジャケットやシャツなどを扱う商社を経営。原発事故に伴い、埼玉県の親族宅に約1カ月の避難生活。その後、いわき市に新居を構えるとともに、浪江の避難指示が一部解除されて両親の住宅をリフォーム。故郷で農業への挑戦を決めた。
「除染は進んでるが、実際に口にするものだと残念ながら消費者にとって受け入れられないかもしれない。それなら、人が見て感動する花がいいと思った」。避難した住民の田んぼを借りて“オールドルーキー”として踏み出した。
現在は需要と出荷時期を見極めながら、トルコギキョウとストックの2種類の花を栽培。「高品質で1本あたりの生産コストをどう削減できるか。道楽じゃなくやるからには真剣勝負」と元経営者の顔ものぞかせる。
日本中が新型ウイルスへの不安に覆われ、福島県では原発の風評被害も100%消えていない。浪江の面積の約8割は原発事故による帰還困難区域のまま。それでも「町のため、消費者のため、自分のためにいい花を作る。85歳まで元気でやるのが目標です」と鈴木さん。太陽の光を浴びたビニールハウスに生気に満ちた声が響いた。
≪除染土 農地に再利用≫浪江町に隣接する飯舘村の帰還困難区域となっている長泥地区では、除染土を農地に再利用し、花などを栽培する実証事業が行われている。環境省によると、除染土を深く埋めて、山砂で覆って放射性物質を遮蔽(しゃへい)する。覆土の山砂には養分があまりないことから、肥料を加えて花などの育成状況を見ている。花から放射性物質が含まれるような数値は出ていないという。先月9日には小泉進次郎環境相がストックを栽培するビニールハウスを現地視察。東京・霞が関の大臣室にも飾られている。
Source : 国内 – Yahoo!ニュース