その日は、曇り空だった。
住宅街の一角にある葬儀場に、福岡県立門司学園(北九州市)の中高生や卒業生、保護者ら400人ほどが集まり、ロビーまで人であふれた。
吹奏楽部の部員32人が、フルートやオーボエ、トランペットやテューバを取り出し、演奏を始めた。
曲は、ワーグナーの「エルザの大聖堂への行列」。ゆっくりと、穏やかなメロディーが流れる。
吹奏楽部で卒業生を送り出すとき、いつも演奏してきた曲だ。
この日は棺(ひつぎ)の中で眠る恩師に向け、葬儀場のロビーで特別に演奏させてもらった。
厳しくも、優しい先生だった。怒られたこと、励まされたこと、いろんな思い出が、駆けめぐる。
演奏がはじまってすぐ、何人かの部員の音が、涙で震えた。思わず楽器から手をはなし、目元をぬぐう。隣にいた部員が背中をさすり、「がんばれ」と声をかける。
16分30秒。
演奏を終え、棺を見送ると、みんな泣きじゃくっていた。見守っていた卒業生たちも、涙をおさえられなかった。
初心者から、人一倍の努力 実力校へ導くまで
恩師の名前は、中嶋恭子さん(61)。吹奏楽部の創部当初から顧問を務めていた、同校の先生だ。
もともと数学の教師で、楽器の演奏経験はなかった。2004年に中高一貫教育の公立学校として新設されたとき、校長からお願いされ、吹奏楽部の顧問に就いた。
1期生で部長だった安部美穂さん(31)は、「4拍子もわからない先生だった」と懐かしむ。
指揮の振り方や楽譜の見方など、詳しい部員が先生に基本的なことも教えた。
練習を始めたばかりの曲では指揮が不慣れで、部員とうまくかみ合わないこともあった。
惜しまれつつ亡くなった中嶋恭子先生の告別式では、部員たちが涙を流しながら別れの演奏をしました。記事の最後では、その演奏の様子を映した動画もご覧いただけます。
ただ、みんな知っていた。
先生は教室で一人、練習を重…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル