太平洋戦争により、日本人の父親を殺されたり、家族が引き離されたりして、フィリピンに取り残された「残留邦人」がいることを、あなたは知っているだろうか。終戦から75年が経過し、「フィリピン日系人二世」とも呼ばれる日本人の子どもたちの平均年齢は80才を超えた。今でも無国籍状態だ。人生が残り少なくなった今も、「日本人と認めてほしい」と声をあげ続けている。この夏、そんなフィリピンの残留邦人たちの苦悩と訴え、そして中国残留孤児の声を記録したドキュメンタリー映画『日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人』が公開された。【 BuzzFeed Japan / 冨田すみれ子 】
フィリピン残留邦人の日本国籍取得に15年間携わり、今回、この映画を企画・製作した、河合弘之弁護士は、映画制作の理由をこう語る。 「フィリピン日系人の人たちがどんどん死んでいってしまっていて、昨年約1100人だったのが、今は950人になってしまっています」 「平均年齢80歳以上で、毎年死んで行っています。このままだと、あっというまにみんな死んでしまう。問題が解決するのではなく消滅してしまうことになります。そういう危機感があるんです」 日本政府の支援により、今でも無国籍状態のフィリピン残留邦人たちを「救いたい」。そんな思いで、フィリピン残留邦人の人々が置かれる状況を知ってもらうため、映画を作ったという。
戦争によって壊された、平和な3万人の日系人社会
フィリピンには19世紀末から第二次世界大戦終結までの間に、多くの日本人が渡った。 フィリピン南部のミンダナオ島ダバオや、北部ルソン地方のバギオなどに多く定住し、最盛期には約3万人にも上ったという。ダバオではアバカ(マニラ麻)の生産などをしていた。 日本人移民は大半が男性で、多くの人はフィリピン人女性と結婚し、家族を持った。その間に生まれたのが二世だ。 現在、二世が「無国籍」に陥っている背景には、戦争の混乱で日本人の父親が死亡したり、戦後に日本に強制送還となり生き別れになったりしたからだ。 戦火で両親の婚姻届などが燃えてしまい、2世に日本人の父親がいることが証明できずに、無国籍のまま十分な教育や医療も受けられずに高齢化が進んでいる。
Source : 国内 – Yahoo!ニュース