相次ぐ脅迫を受けて、あいちトリエンナーレの「表現の不自由点・その後」の展示が中止された問題。15日放送のAbemaTV『NewsBAR橋下』で、橋下徹氏と国際政治学者の三浦瑠麗氏が、展示や作品の問題点について議論した。
■橋下氏「僕が作品を出したとしたら…」
まず、橋下氏は「表現の自由、という観点から名古屋市の河村市長の主張について愛知県の大村知事が“憲法違反に当たる“と反論したし、憲法問題にしている人もいるけれど、そうではない、ということを前提に議論しないといけないと思う」と問題提起。
「つまり、個人がやっていることに対して行政がダメだというなら表現の自由の問題になるけれど、“こういう方針で、こういうものを展示して、こういうところに注意してくださいね“と実行委員会が決めた『あいちトリエンナーレ』という事業の中で起きた話であって、それに沿っていないものはダメだと言われるのは当たり前のこと。例えば大阪万博のパビリオンで方針に反することした人に対して“やめてくださいよ“と言ったからといって、表現の自由を侵害したとは言えないはず。問題は、ちゃんとした権限に基づいてやったかどうかということと、そういった方針が無かったということではないか。大阪の場合は文化振興会議とアーツカウンシルという2段階のクッションを置いて、芸術の中身に政治家の意思が入らないような仕組みにしていた。『あいちトリエンナーレ』も実行委員会方式を取っているんだから、そこで議論した上でダメですよねとなったのだと思う。だからその判断が良いか悪いかは別にして、直ちに憲法違反の話になるようなことではないし、実行委員会としての津田監督に対する指揮命令であれば、公権力の行使ではない」と主張した。
そこで橋下氏は、ポイントは「行政の中立性」の問題だったと指摘する。
「みんな今回の作品について守れ守れと言うけれど、じゃあ僕がナチスドイツや権力者を崇めるような作品を出したとして、それは表現の自由なのだろうか。違うと思う。慰安婦が銀行の通帳を持ってにこやかにしている像を僕が出したら猛批判を食らうだろうし、津田さんや実行委員会の関係者で不慮の事故に遭った人の名前を使って“間抜けな日本人“というタイトルの作品を出したら、“そんなのダメでしょ“、ってなると思う。個人でやるなら同じような価値観の人しか来なかったかもしれないけれど、今回のように大規模にやれば、いろいろな人も見にくるはずだ。結局、政治的要素が入る展示に行政が関わるなら、ありとあらゆる要素の入った作品を認めるか、やらないならやらないという二者択一しかないと思う。個別に作品を判断していったら、都合のいいように作品を使うことに繋がる。逆に言えば、僕は“反日だから“と言って排除するのは一番嫌だし、そんなに恐ろしいことはない。今回の作品について騒いでいる人たちだって、権力者が変わった瞬間に自分が非難される立場になる可能性だってある。“反日“という、そんな曖昧基準で物の良し悪しを判断するのは良くないということ。政治的な主張に行政が偏った関与をしてしまうと、プロパガンダに使われてしまうかもしれないし、非常に危険。行政がお金を出しながらやるんだったら、中立性を保たないといけないといけないし、それは表現の自由の問題とは別だ」。
その上で橋下氏は「そういうところを監督するのが津田さんであり実行委員会であったはずだけれど、この“行政の中立性“をわかっていなかったんだと思う。津田さんは政治などについて評論をしていたけれど、政治の難しさ、実行する難しさを良くわかったと思う。ただ、津田さんに展示を継続しろというのは簡単だけど、京アニの事件もあったし、リスクを考えれば止めざるを得なかったと思う」と話した。
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Source : 国内 – Yahoo!ニュース