2002年5月31日、アジア初の開催となる日韓共催のサッカーW杯が開幕したその日、ソウルでフランス対セネガルの開幕戦を観戦した。ケガでエースのジダンを欠いていたとしても、前回大会優勝のフランスの優位は絶対。初出場のセネガルを相手に何点取るかに注目していたが、結果は下馬評を覆して0―1でセネガルの勝ち。大会初戦から番狂わせが起きたのだった。
その日深夜、青いジャージーを着た大柄な男たちの一団が、ソウル中心部からやや離れたホテルの地下にあった。現在のグランデ・ウォーカーヒルホテル。好きな人ならすぐにピンと来るであろう、韓国最古のカジノ、パラダイスカジノである。私がチビチビとルーレットで遊んでいると、体も声も大きな男たちがホールに入って来た。
私はもちろん、その姿を見た周囲のカジノ客はビックリ。ほんの数時間前に、まさかの敗戦を喫したフランス代表が姿を見せたのだ。確か、囲んでいたのは「カジノの王様」と呼ばれるバカラの台だったと思うが、勝っても負けても大騒ぎ。ただ、徐々に歓声よりも嘆きの回数の割合が増えていったことを覚えている。
彼らがカジノにいた時間はそれほど長くはなかったが、その場に残したインパクトは強烈だった。試合後のリラックスのつもりだったのか、“ヤケッパチ”の参戦だったのかは謎だが、見た目は明らかに「負け」。特に、MFプティが肩を落としていたのは印象的だった。もちろん、そんな彼らに声をかけるような「剛の者」はいなかった。結局、フランス代表はグループリーグを2敗1分。一度も勝利できずに大会を去った。
ちなみに、当時芸能記者だった私が開幕戦のスタジアムにいた理由は、男性デュオ・ケミストリーが開会式のセレモニーで日韓混合6人組ユニット「Voices of KOREA/JAPAN」の一員として出演するのを取材するため。当時、日本語の曲が主要テレビ局などで政府公認の下で解禁されるのは戦後初とされた。日韓混合のユニットが当たり前のように存在する現在からすれば、これもまた懐かしい記憶である。(高柳 哲人)
報知新聞社
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