東京電力福島第一原発がある福島県双葉町。
20年に渡って双葉町長を務めた岩本忠夫氏には「功労者」と「裏切り者」、2つの相反する評価がつきまとう。
理由はかつて反原発を訴えていた岩本氏が、町長就任後は原発を容認、そして増設へと主張を変えたからだ。
原発事故から4か月後に何も語らないまま亡くなった岩本氏は、どんな思いだったのだろうか?
その答えを見つけるために岩本氏が歩んだ道をたどった。
原発事故から8年、双葉町の現在
2018年7月、岩本久人さん(61)は、父である岩本氏の命日に合わせて墓参りへと訪れた。
お墓があるのは福島県双葉町。あの原発事故で設定された帰還困難区域にある。
「どうか町を守ってください」と久人さんは手を合わせた。
2018年12月。
事故から8年経っても放射線量が高いため、双葉町はゲートと呼ばれる柵で立ち入りを厳しく制限している。あの事故に伴い、全ての町民が全国41都道府県で避難生活を送っているのだ。(平成31年4月時点)
久人さんは、双葉町にある岩本酒店に帰ってくると、あの日から重ねてきた時間の長さを痛感するという。
酒瓶を手に持った久人さんは「これはもう最高級のお酒。年に何本も積めない雫酒」とこぼす。そして、「ここで子供達に相手をしていたからね。団地の子が多かったし、子どもの人数も多かった。ここで商売やってたんだもの、こんな小さな店で」と懐かしんだ。
久人さんは父から継いだ岩本酒店の三代目。40代のときの久人さんは、双葉町についてこう語っていた。
「ここで生まれて育った町ですから。これからずっと住んでいきたいと思ってますし、またこれから育ってくる子供達にも、住んでよかったっていう町を、我々は築き上げていかなきゃいけないのかなっていうふうにも、微力ながら思うんですよ」
しかし、この店の取り壊しが決まった。
かつては賑やかな通りだったところも閑散とし、今は街全体がただ朽ち果てていくのを待っているかのようだ。
こうした街の姿に久人さんは「信じられない。でも、みんなそう思ってんじゃないかな、なんでこうなっちまったんだろうなって」と明かした。
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Source : 国内 – Yahoo!ニュース